2008/07/22

発見

















「キリスト教と香料」
この合言葉を旗印にして、輝かしき大航海時代の幕が切って落とされたことは、よく知られているところである。香料は彼らヨーロッパ人にとって、未知なる大海の彼方からもたらされる神秘的で魅惑的な産物であり、彼らはそれを一手に握り、多大な利益を上げることを目論んだのだ。
 その先陣を切り、空白の大海へと船出したのが、スペインのクリストファー・コロンブスと、ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマだったことは、今さら云々するまでもなく広く世に知られているところである。

 だが、1492年。大西洋を西へ向かったスペインのコロンブスが到達したのは、結局、目標であったインディアでもジパングでもなくキューバだったわけだが、スペインはさっそく手回しよく、その翌年の1493年、この彼らの言うところの「発見」した未知なる陸地と、これから再び大西洋を西へ向かい「発見」するだろうインディアまでの世界が、スペインのものであるという権利の要請をするのだ。

 実を言うと面白いことに、なにをかくそうこの地球は、神が彼らキリスト教徒たちへ与えたものだったのである。したがって、そんなとんでもない権利をいったいどこの誰に要請したのかというと、それはもちろん、この地球が神が彼らキリスト教徒たちへ与えたものである以上、ローマ教皇へである。

 これによってスペインは、時の教皇アレクサンデル6世から、大西洋のヴェルデ岬諸島の西方約560キロの経緯から西側をすべてスペインのものとし、また、スペインによってその西方の住民にたいするキリスト教の布教が円滑に進展することを願い、インディアをスペインへ贈与する、という教書を取り付けたのだ。

 だが、こんな話が宿敵ポルトガルの耳に入ると、当然、彼らも黙っている訳がない。異議を唱えるポルトガルとスペインとの間でしばらくすったもんだがあり、結局、再び登場したローマ教皇の仲介によって、両国は一応の和解に漕ぎ着けるのだった。
 その際に結ばれたのが、かの有名な「トルデシリャス条約」である。1494年のことだった。

 この条約によって、なんとこの地球を両国で仲良く半分こすることになり、大西洋のヴェルデ岬諸島の西方約2000キロの経緯を分界線にして、西側がスペインのもの、東側がポルトガルのものとなったのである。この結果、南アメリカで唯一、分界線から東側に突き出していたブラジルだけがポルトガル領となってしまったという話は、よく知られているところである。

 こういったスペインとポルトガルの、「この線から向こう側は君のもので、こっち側は僕のもの」という地球の分割は、彼らとて、そこにいったいどんな海と陸地があり、またどんな人々がどんな文化をもって暮らしているのかといったことなども、まったく知らない上で、何の疑いもなく自分たちで「決めた」のだ。

 もちろん、我々の先祖を始めとする、すでにその地で暮らしていた人々にとっては、そんな見たことも聞いたこともないユーラシア大陸の突端に住む人々が、自分たちの暮らしている土地を勝手に「向こう側は君のもので、こっち側は僕のもの」と「決めた」ことなど、まさに知る由もないことで、おまけに、この地球は実は神が彼らキリスト教徒たちに与えたものなのだなどという話も、まったくもって縁も所縁もない話だったわけである。
 しかしスペインとポルトガルの両国は、ローマ教皇からのお許しも取り付け、これで心置きなくアジアの香料を求め、「発見」に情熱を注ぎ込むことになるのだ。

 ところがである。しばらくすると、この地球をなにゆえにスペインとポルトガルだけが占有するのかと、異議を申し立てるものたちが現われてくるのだ。その異議を申し立ててきたのは、残念ながら博愛主義団体ではなく、同じキリスト教徒の国、すなわちイギリスやフランス、オランダを始めとする他のヨーロッパ諸国である。

 こうして、とうとう神がキリスト教徒たちに与えたこの地球という宝の山を、キリスト教徒の国々が群がり、奪い合いを始めたのだ。
 そして、そんな彼らのアジアの交易圏への進出は、やがて交易の独占を経て領土支配へと加熱してゆき、いよいよアジアは、ヨーロッパ諸国による横行と掠奪の渦巻く、長い長い暗黒の時代の幕開けを迎えるのである。