2008/07/21

住居

















 住居とはそもそも、風土から形作られるものだった。これは、生活を快適にしたいという人間の根源的な欲求によるもので、よって自然環境が異なれば、おのずと住居の形態も異なるわけである。

 ちなみに日本では、「家のつくりやうは、夏をむねとすべし」と、『徒然草』の中で吉田兼行が言うように、古来、住居は夏のむし暑さを主眼にして建てられたのである。これは防寒を第一に考え建てられるヨーロッパの建築とは明らかに異なる点で、ようするに雪を愛でる日本の冬は、ヨーロッパのそれと比べると遥かに過ごしやすかったのだ。

 そんな愛すべき良好な気候に育まれた日本の建築はまた、ヨーロッパの建築とは細部においても数多くの相違点をもっている。
 たとえば、「軒下」という言葉のないヨーロッパの建築とは異なり、日本の建築には軒や廂、縁といった自然と連動する空間があり、そこは我々日本人にとってとても快適であると同時に、なくてはならない大切な空間だったのだ。『源氏物語』に代表される数々の王朝文学も、この軒や廂、縁といった空間なくしては生まれなかったとも言われている。

 そして、日本の建築の中で数少ない、ヨーロッパの建築と共通した自然と連動する場所である窓すらも、日本では語源は「間戸」である。これはもともと、柱の間に建てこまれた光を採るための開放的な戸のことであって、少なくとも外界と遮断する壁に開けた穴ではなかったのだ。面白いことに窓というものの形態も、風を取り込むことを主眼とした日本の窓は横長に、光を取り込むことを主眼としたヨーロッパの窓は縦長に作られたのだ。

 もしも熱帯の山奥に、分厚いコンクリートの壁に囲まれ、頑丈なガラス窓によって密閉された住居を建てたならば、エアコンを一日中フル稼働させる膨大な電力が必要になるだろう。こういった環境を無視した住居が可能となったのは、もちろん、電力やガスを始めとするエネルギーを使い、簡単に快適な環境が作り出せるようになった、まさにごく近代のことである。