2008/07/21

輪廻


















 輪廻「サンサーラ」という言葉は、「流れる」「廻る」といったことを意味するサンスクリット語を語源としていて、まずこの思想の基本は、霊魂の存在というものを絶対肯定する所にある。霊魂は人間の存在の本質であり、永遠不変なのだ。したがって霊魂は、死によっても滅することなく存在し続けるのである。

 そんな輪廻の原形とされる、霊魂がこの世に再生するプロセスが、『ヴェーダ』の奥義書『ウパニシャッド』の中に説かれていた。「五火説」である。

 それによると、まず人が死に火葬されると、霊魂は肉体を離れ煙と共に立ち昇り、まず月へと至る。月へ至った霊魂は、やがて雨となって地上へ降り落ち、雨は大地にしみ込む。大地にしみ込んだ雨は、つぎに植物によって根から吸い上げられ、葉が繁り、花が咲き実を結ぶ。その実を男が食べると、霊魂は精子となり、それが男女の交合によって母胎へと至ると、やがてまた新たな生命としてこの世に再生するというのである。

 そして、この輪廻にもう1つの思想「業」が加わると、いよいよ人々の現世での生き方そのものに多大な影響を及ぼすことになるのだ。

 業「カルマン」という言葉は、「成す」といったことを意味するサンスクリット語を語源としていて、業は精神的作用も含め、人の行いのすべてを包括しており、さらに、それによってもたらされるであろう潜在的なことまでも引き込んでいるのである。

 この生前の行い、すなわち業は、霊魂によって担われ、死すと霊魂は業の善悪によって、しかるべき来世へと生まれかわると考えられるようになっていったのだ。
 その、業の善悪によって振り分けられる来世こそが、後に仏教で「六道」へと発展する、天上、地獄、人間、動物等の各界である。ようするに霊魂は、生前の行いが生む業という絶対的力によって常に来世を決められ、永遠に死と再生を繰り返していくのだ。これが輪廻だ。

 したがって、我々が何気なく食べているウシやブタやニワトリも、ひょっとすると死して別れた家族や恋人たちの生まれ変わりなのかもしれない。そしてまたそれは、もしかすると己れ自身の来世の姿なのかもしれないのだ。