2013/11/02

伝達


















2013年。今年は写真家ロバート・キャパ生誕100年の年だそうだ。

ロバート・キャパは1913年、ハンガリーのブタペストで洋服店を営んでいたユダヤ人夫婦の次男として生まれた。本名はフリードマン・エンドレ・エルネー。ちなみに「ロバート・キャパ」というアメリカ的な洒落た名前は、写真を高値で売り込むために考え出された架空の名前だったらしい。ようするに撮影した写真を、ハンガリーのユダヤ人写真家ではなく、ジャーナリズムの最先端をゆくアメリカ人写真家が撮影した写真だと偽り、新聞社や雑誌社に高値で売り込んだのだ。

キャパは今も報道写真家たちの偉大なるヒーローとして存在し続けている。

しかしこういった報道写真、特に戦場や紛争地帯で撮影された写真は、時に賛否の論争を巻き起こしている。1994年、ピュリツァー賞を受賞した『ハゲワシと少女』もその1枚だ。撮影したのはケビン・カーター。撮影場所はアフリカのスーダンだった。当時スーダンは、1956年にイギリスから独立して以来たえず内線が続いていて、それがこの地を繰り返し脅かしているひどい旱魃と相まって食糧は底をつき、人々は深刻な飢餓状態におちいっていた。そこへケビンが特ダネを求めてやって来たのだ。

そしてケビンに幸運はやってきた。それはある配給所近くの薮の中だった。配給でもらえるわずかな食糧を求めてやってきた幼い少女が、配給所を目前にして力つき今まさに餓死しようとしていたのだ。もちろん、そんな餓死しようとしている少女の姿だけではもはや珍しくもなく、特ダネとしての価値はない。だが彼女の背後にはハゲワシの姿が迫っていたのだ。

ハゲワシは屍肉を喰らう生き物だ。ようするにハゲワシは、地にうずくまり今まさに餓死しようとしている幼い少女が息絶えるのを、背後に忍び寄り待っていたのだ。またとない運命の瞬間だった。ケビンはその瞬間シャッターを切り続けた。おそらく彼はシャッターを切りながら「いい写真を撮った」という確かな手応えを感じていたに違いない。

そして実際、この写真は「いい写真」だったのだ。この写真がニューヨークタイムズに掲載されるやいなや、世界中の新聞の紙面を飾る事になり、1994年、見事ピュリツァー賞の栄誉に輝いた。彼はニューヨークでの授賞式で、参列した多くの人々から賞讃され、祝福され、そして最も権威のある賞を獲得した有名写真家となったのだ。

しかしその後、そういった賞讃の声とともに、彼の倫理観を問う非難の声が上がり始める。ハゲワシに喰われようとしている子供を救うよりも、お前はシャッターを切ることを優先したのか?

その批判に対して、撮影の現場にいた彼の友人ジョアォン・シルバは、彼はシャッターを切った後ハゲワシを追い払い、少女は立ち上がり配給所へと歩き出したと彼を擁護する証言をしているが、カーターが子供を救うよりもシャッターを切ることを優先したという事実は変わらないし、もし、たまたまハゲワシの前で一瞬うずくまり歩き始めた少女の写真を、餓死しようとする少女をハゲワシが狙っている写真として報道したとすれば、それはまた彼のジャーナリストとしての適性そのものを疑わざるを得ない。

報道は、とても大切な行為だ。それは疑う余地のないことだし、僕も否定はしない。そして世間は、ありきたりな平凡な報道よりも、刺激的な報道を求めている。残念ながらそれも大筋では間違っていないだろう。だからそれを発信するメディア側も、営利活動によって維持されている以上、より刺激的な報道を写真家たちに求める。

そして彼ら写真家ちたも、写真で食べている以上、世間が、そしてメディアが求めている「売れる写真」を撮らなくてはいけない。また、権威ある賞を受賞して有名になれば、写真は格段に高く売れるようになる。彼らがそれを望むのは、至極当然のことだ。彼らはカルカッタの雑踏の中にひとり足を踏み入れたマザーテレサではないのだから。

こういったプレッシャーが、時として写真家たちを「偽装」という悪事に手を染めさせることにもなり、残念なことにこの問題に関してはキャパも例外ではなかったのだ。「ロバート・キャパ」という名前を世界に知らしめ報道写真家としての確固たる地位を築くきっかけとなった、キャパの最も有名な写真、1936年にスペイン内線において撮影された「崩れ落ちる兵士」と題された1枚の写真がそうだ。

これは戦場で頭を撃ち抜かれて今まさに倒れようとしている若い兵士を撮影したものだが、この写真が世界のメディアで取り上げられ有名になると、これは兵士に演技をさせて撮影した写真だとか、ただ兵士が足を滑らせて倒れる瞬間を撮影した写真にすぎないといった、数々の疑惑が持ち上がったのだ。

キャパは、撮影した写真の詳細なデータを公表しないことでも有名で、この「崩れ落ちる兵士」の偽造疑惑に関しても、多くを語らず言葉を濁している。そしてキャパの死後、遺品の中から発見された、その「崩れ落ちる兵士」と同じ日に同じ場所で撮影されたと思われる43枚の写真の出現によって、この疑惑はさらに深まることになった。

その43枚の写真には、「崩れ落ちる兵士」に写っている兵士と同一人物だと思われる若い兵士が、仲間たちと一緒に笑いながら撃たれて倒れるポーズをとっている写真が含まれていたのだ。そして写真に写っている背景を分析した所、その撮影場所も内線の行われていた戦場ですらないという結果が出されている。

もしこれがこの写真の真相だとすると、キャパはスペインに内線の取材に赴き、戦地から離れた郊外の丘陵で、若い兵士たちに撃たれて倒れるポーズをとらせて写真を撮影し、それをスペイン内戦の報道写真として売り込んだことになる。そしてこの写真によって、「ロバート・キャパ」という名前が世界のメディアを駆け巡り、彼は最も有名な報道写真家として華々しい活躍を開始することになったのだ。

とにかくスーダンでの『ハゲワシと少女』の撮影の真相は、ケビン・カーター自身と、彼の友人シルバの2人だけが知りえることだが、やがてこの写真をきっかけに「報道か人命か」という論争が巻き起こることになるのだ。

ところで、こういった過激な報道写真の賛否の論争に対してよく耳にする、「写真に撮ることで彼らを救いたかった」などという、愛に裏付けられた熱い使命感がその写真を撮らせたのだという写真家たちの発言は、はたして彼らの本心なのだろうか?

もしそれが写真家たちの本心だったとして、たとえば東日本大震災の際、今まさに僕の愛する我が子が冷たい波にのみ込まれようとしているその瞬間を、手を差し伸べ救助することもなくカメラのシャッターを切り続けている写真家がいたとしたら。そして、その我が子が死ぬ瞬間の写真が優れた報道写真として絶賛され、華やかな授賞式で大勢の来賓者の熱烈な拍手をあびながら満面の笑みをたたえてトロフィーと賞金を手にする写真家の姿を目にしたとしたら。

僕は迷わずツバを吐きかけてやるだろう。あなたが我が子を撮影してくれたおかげで、地震の悲惨さを世界に知らせることができました。どうもありがとう。などと感謝する心の広さを僕は持ち合わせていないし、また同様に、彼の受賞に対して拍手をした人々の倫理観をも疑う。

僕はいつも思うのだが、こういった報道、少なくとも個別の事件に対する写真や映像を媒体とする報道に対して、その優劣を云々し賞与の対象にする必要性があるのだろうか?

それはカメラの前で役者が演じている映画やドラマではなく、多くの場合そこに写し出されているのは、人間のたえがたい苦悩や苦痛、そして血まみれの遺体なのだ。そのゾッとする事実を、我々は忘れてはいないか?僕は、そんな写真や映像に対して優劣を云々し賞与の対象にすることは非常識だと思うし、まさに人倫に悖る行いだと思う。

報道にとって大切なのは、誰がそれを撮影したのかということではなくて、そこで何が行われていたかという事実だ。そしてそれを、それ以上でも、それ以下でもなく、正しく伝えること。それが報道のあるべき姿であり、もとよりそこに「インパクト」や「芸術性」など必要としていないのだ。

ジャーナリズムが、そんなものを追い求めていると、本来の役目を見失い、どんどんと霧の中に迷い込んでしまうだろう。