2008/07/29

影響

















 一番好きなタイ料理は何かと聞かれたら、僕は迷わず「ヤム・ウンセン」と答える。ヤム・ウンセンの「ヤム」は合える、「ウンセン」は春雨という意味で、これは一般に春雨サラダと呼ばれているものである。

 この「ヤム」と呼ばれるタイのサラダは、主に「マナオ」と「ナンプラー」と「プリック」で味がついている。

 マナオは青く小さな柑橘類で、ちょうど日本のスダチのようなものだ。酸味はタイ料理にはかかせない重要な味覚の一つで、インドシナ諸国全般の特徴として、酸味には酢よりも、柑橘類やハーブ類を使うことが多い。酸味を出す食材は、豆科植物「マッカム」(タマリンド)の実、柑橘植物「マックルー」(こぶ蜜柑)の皮と葉、イネ科植物「タックライ」(レモングラス)を始め、実にたくさんある。

 ナンプラーは、魚を塩漬けにして発酵させ、そこに出た上澄み液から作った醤油である。グルタミン酸を多量に含み、料理に独特の旨味をつけるのだ。これは、もともと保存食として魚を塩漬けにする過程から考え出されたと言われていて、ヴェトナムの「ニュクマム」、カンボジアの「タクトレイ」、ラオスの「ナンパー」、ビルマの「ガンピャイェー」と、東南アジアにはなくてはならない調味料なのである。ちなみに、このような魚から作ったソースを使っているのは、世界的に見ても、東南アジア以外には日本と中国、そして古代ローマくらいらしい。

 プリックは、いわゆるトウガラシのことで、「プリッキーヌー」「プリックチーファー」「プリックルアン」を始め、その種類は極めて豊富である。タイ料理は辛いという通説が世間に浸透していて、その辛さの主たるものがトウガラシだということも、今ではもう誰でも知っている。このトウガラシという食材なくして、タイ料理を語ることはできない。しかし、トウガラシは南米原産の植物で、実は近代になってから持ち込まれたものだったのだ。

 16世紀、当時の王都アユタヤのオランダ商館に勤務していたイレミアス・ファン・フリートは、当時のこの国の食事について次のように記している。

〈かれらの食事はなみはずれたものではなく、質素である。通常は米と乾魚、塩魚、生魚および野菜である。ソース、つまり調味料にはブラチャン、魚、および胡椒で味をつけた水を用いる。ブラチャンはえび、蟹、胎貝および魚から作られ、それに胡椒と塩がまぜられる。それはわれわれにとって悪臭を放つだけのものに過ぎないが、かれらにとっては美味なものなのである。かれらは宴会もおいしい食事も知らない〉

 ここに、トウガラシのことはまだ何も記されていない。彼がここに記しているソースは、おそらくナンプラーだろう。「ブラチャン」は、エビなどをナンプラーのように塩漬けにし発酵させて作るペースト状の調味料「カピ」なのかもしれない。カピはタイ語だが、マレー語では「ベラチャン」と言う。
 それにしてもこのオランダ人が、タイの人々のことを「かれらは宴会もおいしい食事も知らない」などと記しているところが、何とも面白い。まったく大きなお世話である。

 だがこれを見ると、やはりトウガラシのなかった頃のタイ料理は、現在の我々の思い描くところの、多様で多彩なあのタイ料理とは比べものにならないほど、単調なものだったのかもしれない。

 参考までに一つ補足しておくと、飯屋や屋台に並ぶ日本でもお馴染みの野菜や果物もまた、その多くが外から持ち込まれたものである。
 インド原産のナス、キュウリ、コショウ。西アジア原産のニンニク、ニラ、ネギ、玉ネギ、ニンジン。イラン原産のホウレンソウ。ヨーロッパ原産のキャベツ、カリフラワー、ブロッコリー、アスパラガス。地中海原産のコリアンダー。アフリカ原産のスイカ、タマリンド。中南米原産のトウモロコシ、カボチャ、サツマイモ、インゲン、パパイヤ。南米原産のピーマン、ジャガイモ、トマト、パイナップル、等々。

 もちろんこれらは、それぞれの故国から風に吹かれ、波に揺られ、はるばるここまで辿り着いたのではない。人が動き、食が動いたのだ。それが、どういった使命感によるものであったのかは別として、かつてこの地球の上を、命もいとわず歩き続けた人間が、確かにいたということである。とにかく、まさにトウガラシは、タイに持ち込まれた外来文化としては、第一級にあたいする影響力だと言えるだろう。