2008/10/01

循環


















 ヴィシュヌは、ヒンドゥー教の三大神の中の一柱である。

 端正な顔立ちをした美少年で、手は4本あり、それぞれの手には法螺貝、輪宝、棍棒、蓮華を持ち、怪鳥ガルーダに乗っている。

ちなみに三大神とは、創造神ブラフマン、破壊神シヴァ、そして維持神ヴィシュヌであり、実は彼らは三柱であると同時に、また一柱でもあるのだ。

 ヒンドゥー教では、宇宙は1カルパという単位で生成消滅を繰り返すとされていて、1カルパはおよそ43億2000万年。そしてそこに、この三大神が重要な役割をはたしているのである。

 まず、混沌とした暗黒の大海の上に、千の頭を持つ大蛇ナーガが三巻半し浮かび漂っている。その上にヴィシュヌが横たわり微睡み始めると、ヴィシュヌの臍から一輪の蓮華が芽を出し、やがてその花弁の中から創造神ブラフマンが生まれ宇宙を創造する。

 そしてやがて1カルパが近付くと、100年におよぶ旱魃が起こり、生物はことごとく死滅する。

 そこでヴィシュヌは破壊神シヴァとなり、まず世界を徹底的に涸渇させ炎に包み、炎は地下界から天界にまで達し、いよいよ三界すべてを焼きつくす。

 またシヴァは次に巨大な雲を吐き出し、雲は雷鳴を轟かせ100年にわたり雨を降らせ、世界は水没し、とうとう三界もろとも一つの混沌とした暗黒の大海となるのだ。

 こうして、その混沌とした暗黒の大海の上に、やがて大蛇ナーガが三巻半し浮かび漂い始めると、ヴィシュヌはその上に横たわり、再び微睡みに就くのである……。

同化


















 フランスによるラオス統治が「愚民政策」だったのに対して、仏領インドシナ連邦の中心だったヴェトナム統治は、まさに「同化政策」だった。
 それは、植民地ヴェトナムを本国フランスと同化させようとするもので、政治、経済、文化、教育のあらゆる面に及んだのだ。

 そこには「野蛮人」の幸福は、白人を模倣し、白人と同じ生活習慣を身につけ、そしてキリスト教に改宗することだとする、誇り高きフランス人の善意があったことは否定しない。
 だがこの同化政策は残念ながら、ヴェトナム人をフランス人と同化させ、お互いに良好な交友関係を確立しようとしたものでは決してなく、あくまでもそれは、植民地統治を円滑に運営し、植民地から効率よく営利を貪り取るための一つの手段だったのである。

 かくして、宗主国フランスによる同化政策は容赦なく行なわれたわけだが、そんな中で、ヴェトナムの文化からある大きなものが失われてしまったのだ。文字である。

 もともと中国の強い影響下にあったヴェトナムでは、かつての日本と同様、古くから漢字が公式の文字として用いられており、漢字は儒学者の文字を意味する「字儒」と呼ばれていた。
 そして日本で平仮名が、片仮名が生み出されたように、ヴェトナム独自の文字も生み出されたのだ。「字喃」である。

 字喃は、漢字をもとにして作られた一種の合成語なのだ。たとえば、「正」を偏に「月」を旁にして正月を意味するといった会意文字や、「南」を偏に「五」を旁にして「ナム」と発音し五を意味するといった形声文字など、まさにヴェトナム民族固有の言葉を書き記すことへの情熱が、この字喃の一点一画に溢れていたのである。

 しかし今ではもう、その文字はヴェトナムにはない。今ヴェトナムで使われているのは、「クォックグー文字」と呼ばれている一種のローマ字なのだ。
 そもそもこれは、この国へやってきた宣教師たちが行なった、ヴェトナム語のローマ字表記への変換という試みから始まったのである。そしてこの試みが、この国がフランスの植民地となったことによって、ヴェトナム語のフランス語への同化の一手段として国家規模で奨励されることになり、とうとう字儒、字喃の使用は禁止されてしまうことになったのだ。

 これも、長い歴史の中での一つの文化の変遷にすぎないと言われれば、確かにそうなのかもしれない。それに筆画が多く複雑な字儒、字喃とは違い、簡易なクォックグー文字は、一般民衆の文盲の数を急速に減少させたと言われている。
 だが、文字は文化の根幹を成すものだ。太古から脈々と継承されてきたヴェトナムの文化の中から、字儒、字喃という文字がこのような形で消えてしまったという事実は、やはり一つの悲劇と呼ばれてしかるべき事実ではないかと僕は思う。

 もしもラオスが、愚民政策によって見捨てられることなく、隣国ヴェトナムと同様、宗主国フランスによる精力的な植民地統治が行なわれていとしたら、あの美しいラオスの文字も、字儒、字喃と同様、ローマ字という味気ない文字に変わっていたのかもしれない。

戒律

















 ブッダは入滅に際して弟子のアーナンダに、「私の亡き後は、私が説いた教えと私が制した戒律とがお前たちの師となるであろう」と告げたと言われている。

「戒律」とは、「戒」と「律」との合成語で、戒は仏教徒の一人として個人的に守るべき規則を指し、律は仏教教団の一員として集団的に守るべき規則を指している。
 インドシナの上座部仏教の僧には227の戒律が課せられており、そして尼僧には、さらに多くの311もの戒律が課せられていたという。その戒律が『パーティモッカ』である。

パーティモッカは、パーリー語の「絆」という言葉を語源としており、まさに僧は、この『パーティモッカ』という絆によって、聖なる共同体として結ばれているのだ。

 『パーティモッカ』は、8つの項目から構成されている。「パーラーチック」「サンカティセー」「アニヨット」「ニッサッキヤ・パーチッティ」「パーチッティ」「パーティデーサニーヤ」「セーキヤ」「アティカラナサマタ」である。そしてこれらはその違反によって、許されぬ大罪、許される小罪、また罰則のあるもの、罰則のないもの等に分類されている。


【パーラーチック】パーラーチックは、許されぬ大罪である。これに違反すると、僧衣を剥脱され、教団より追放される。4ヵ条から成っている。

性交をしてはならない。これは、女性との性交に限らず、同性との性交も、また動物との性交も含まれている。

窃盗をしてはならない。ただし、五マーソクという小額以下のものを盗んだ場合は、これには含まれない。

殺人をしてはならない。これには、他人に殺人を依頼した場合も、自殺を勧めた場合も含まれる。

虚言をしてはならないの。これは単なる嘘ではなく、信徒からの寄進を集めるために、悟を得てもいないのに、悟を得たと他言することや、超能力者だなどと自称することを指す。


【サンカティセー】サンカティセーは、許される小罪の内の重罪である。これに対しての違反は、定められた方法で懺悔することで免罪される。13ヵ条から成っている。

オナニーをしてはならない。ただし夢精はこれには含まれない。

女性の身体に触れてはならない。これには頭髪も含まれる。

女性に淫らな言葉をかけてはならない。

女性を欲情をもつて誘惑してはならない。

男女の仲をとりもってはならない。

自ら僧房を建てる場合、規定されている以上のものを建ててはならない。

寄進者に僧房を建てさせる場合、許可なくして、規定以上のものを建ててはならない。

無実の僧に、パーラチックの罪をきせてはならない。

他の件に事寄せ、その僧にパーラチックの罪をきせてはならない。

教団の秩序を乱し、それに対する他の僧の忠告を無視してはならない。

教団の秩序を乱す僧に同調し、それに対する他の僧の忠告を無視してはならない。

忠告されたことによって、その僧を貶め、それに対する教団の忠告を無視してはならない。

信徒と人情関係を結び、清浄なる信仰を乱し、それに対する教団の忠告を無視してはならない。


【アニヨット】アニヨットは、2ヵ条から成っている。

女性と隠れた場所で、パーラチックやサンカティセーなどの罪を行なっているところを発見された者は、アニヨットの罪になる。

女性と露な場所で、パーラチックやサンカティセーなどの罪を行なっているところを発見された者は、アニヨットの罪になる。


【ニッサッキヤ・パーチッティ】ニッサッキヤ・パーチッティは、許される小罪の内の軽罪である。僧の所持を禁止されている物、また禁止されている量について定めており、これに対しての違反は、違反した物を捨て、定められた方法で懺悔することで免罪される。30ヵ条から成っている。

余分な衣は、10日間は所持していてもよいが、それを超えてはならない。

一夜なりとも、衣を脱ぎ裸で寝てはならない。

衣を作る布が寄進されたが、布の寸法が足らず、次の寄進まで待っている場合、1ヵ月は所持していてもよいが、それを超えてはならない。

親類ではない尼僧に、衣を洗わせたり、染めさせたり、鏝あてをさせてはならない。

親類ではない尼僧から、衣を受けてはならない。ただし、交換する場合はこれには含まれない。

親類ではない信徒に、衣の寄進を要求してはならない。ただし、衣を盗まれたり、失ったり、火に落ちたり、水に落ちたりした場合はこれには含まれない。

衣が、盗まれたり、失ったり、火に落ちたり、水に落ちたりして、衣の寄進を要求するのはいいが、前のもの以上のものを要求してはならない。

親類ではない信徒が衣の寄進をすることを知り、信者のもとへ赴き、より良質で高価なものを要求してはならない。

親類ではない幾人かの信徒が衣の寄進をすることを知り、それらを一つにまとめ、より良質で高価なもの得てはならない。

寄進者が使者を差し向け、衣を買うお金を僧に届ける場合は、僧に直接渡さず、僧の世話役に渡さなくてはならない。その後、僧が衣を必要とする際は、僧は世話役に要求するわけだが、3度要求しても得られない場合は、6度まで世話役のもとへ赴き要求することができるが、それを超えてはならない。かくして僧が世話役から衣が得られない場合は、寄進者のもとへ赴き、世話役からお金を取り返すよう依頼すべきである。

絹と羊毛の混紡の臥具を作ってはならない。

純黒羊毛の臥具を作ってはならない。

純白羊毛の臥具を作ってはならない。規定された割合で、黒、白、黄褐色の羊毛を混織すべきである。

6ヵ年に満たない内に、新しい臥具を作ってはならない。

新しい座具を作る場合は、色を鈍くするために、古い座具の四辺より一定の長さの布片を取り、縫い込まなければならない。

行脚の途中、信徒から羊毛の寄進があれば受けることはできるが、従者がなく自ら携帯する場合は、3ヨジャーナ(約21キロメートル)は携帯していてもいいが、それを超えてはならない。

親類ではない尼僧に、羊毛を洗わせたり、染めさせたり、梳かせてはならない。

金銭を自らの手で受け取ってはならない。また金銭を自らのために貯えてはならない。

金、銀、宝石を売買してはならない。

俗人と物品の売買に関与してはならない。

余分な鉢は、10日間は所持していてもよいが、それを超えてはならない。

10ニウ(約10インチ)にも達しない罅もないのに、親類でもない信徒に新しい鉢の寄進を要求してはならない。

病に伏せた僧の食す五5つの物、牛乳、バター、油、蜂蜜、サトウキビの汁は、7日間は所持していてもよいが、それを超えてはならない。

規定された時期の前に、衣を調達してはならない。

かつて与えた衣を、感情のもつれから、後になって奪い返してはならない。

親類ではない信徒に棉糸の寄進を要求し、衣を織らせてはならない。

親類ではない信徒が衣の寄進をするにあたって、織師に布を依頼することを知り、織師のもとへ赴き、己れの好みに織らせてはならない。

信徒が衣を寄進する行事で衣を受けた場合、規定された期間以上に所持していてはならない。

山野で修行していた僧は、修行の後、6日間は衣を民家に預けておくことはできるが、それを超えてはならない。

教団に対して寄進された物を、己れの物として着服してはならない。


【パーチッティ】パーチッティは、許される小罪の内の軽罪である。僧の主に精神的な働きに原因する行為について定めており、これ対しての違反は、定められた方法で懺悔することで免罪される。92ヵ条から成っている。

虚言をついてはならない。

他人を誹謗してはならない。

皮肉を言ってはならない。

教団に属す資格「具足戒」を受けていない者と共に、聖句を唱えてはならない。

教団に属す資格「具足戒」を受けていない者と共に、隠蔽された場所に3夜以上同宿してはならない。

女性とは一夜たりとも同宿してはならない。

女性に対して6語以上、説法してはならない。ただし、成人男性が隣席している場合はこれには含まれない。

教団に属す資格「具足戒」を受けていない者に、上人法を説いてはならない。

教団に属す資格「具足戒」を受けていない者に、他の僧の罪を暴露してはならない。

地を掘ってはならない。また、それを他人に依頼してはならない。

地や水に生えている植物を伐り、棄て、打ち、燃やしてはならない。また、それを他人に依頼してはならない。

破戒行為をなした僧を、隠蔽したり、口を閉ざしたりしてはならない。

教団によって任命された僧を、嫌悪し、軽蔑してはならない。

教団の寝台や椅子、敷物を露地で使用した後、もとに戻さず放置してはならない。また、それを他人に依頼してはならない。

教団の寝台や椅子、敷物を己れの僧房で使用した後、もとに戻さず放置してはならない。また、それを他人に依頼してはならない。

すでに他の僧の居住まいする僧房に、後から押し入り、追い出してはならない。

怒って僧を房から追い出してはならない。また、それを他人に依頼してはならない。

丈夫ではない寝台や踏台に座ったり、寝ころがってはならない。

僧房の天井や壁を漆喰で塗る場合は、3度を超えてはならない。

中に虫がいることを知りながら、その水を草や地にまいてはならない。また、それを他人に依頼してはならない。

教団の任命を受けずに、尼僧に法を伝えてはならない。

教団に任命され、尼僧に法を伝える場合、日没には止めなくてはならない。

尼僧に法を伝える場合、尼僧の僧房に入ってはならない。ただし、尼僧が病気の場合はこれには含まれない。

尼僧に法を伝える僧を、利欲のために行なっているなどと非難してはならない。

親類ではない尼僧に衣を与えてはならない。ただし、交換する場合はこれには含まれない。

親類ではない尼僧のために衣を作らせてはならない。また、それを他人に依頼してはならない。

尼僧と共に歩いてはならない。ただし、荒涼たる危険な道を行く場合はこれには含まれない。

尼僧と共に乗船してはならない。ただし、川を向こう岸に渡る場合はこれには含まれない。

尼僧が調理したもの、または尼僧が信徒に依頼して調理させたものを食べてはならない。ただし、尼僧に依頼される以前に、信徒が供養の気持ちを起こし調理しようと思っていた場合はこれには含まれない。

尼僧と共に、隠蔽された場所に座してはならない。

病気でもないのに、施食処で2度以上、食物を受けてはならない。

信徒が家に招き、飯、水菓子、乾菓子、魚、肉の5種のいずれかを寄進する場合、4人以上の僧が赴いてはいけない。

信徒が家に招き、飯、水菓子、乾菓子、魚、肉の5種のいずれかを寄進すると伝えてきたにもかかわらず、それを無視し、他家へ赴いてはならない。

托鉢で、信徒が多量の食を差し出した場合、3鉢以内は受けることができるが、それ以上を受ける場合は、他の僧に分配しなくてはならない。

病気でもないのに、食事を終えた後、追加の食事をしてはならない。

食事を終えた僧に、戒律を破らせるため、追加の食事を勧めてはならない。

定められた時以外に食事をしてはならない。

食物を一晩貯蔵し、翌日食べてはならない。

病気でもないのに、親類でもない信者に、牛乳、バター、ヨーグルト、チーズ、油、蜜、砂糖、魚、肉などの好美食の寄進を要求してはならない。

信徒から食物の寄進を受ける前に、食物を口にしてはならない。ただし、水と楊枝はこれには含まれない。

他教徒に食物を与えいはならない。

他の僧と托鉢に行く際、良からぬ行為をするために、その僧を追い返してはならない。

招かれてもいないのに、食事中に家に立ち入って、座についてはならない。

男性を伴わない女性と、隠所で共に座してはならない。

露な所で、女性と共に座してはならない。

信徒の家で、飯、水菓子、乾菓子、魚、肉の五種の食物を寄進されている際、同席する他の僧に何も告げずにその場を去り、他家へ赴いてはならない。

定められた4ヵ月以外に、衣、食物、寝具、医薬の四資具の寄進を受けてはならない。

軍隊を見に行ってはならない。ただし、然るべき理由のある場合はこれには含まれない。

然るべき理由があり、軍隊を見に行く際は、部隊内で3夜以上止宿してはならない。

然るべき理由があり、軍隊を見に行く際は、戦闘行為や、兵力の編成配置などを見てはならない。

酒を飲んではならない。

他の僧をくすぐってはならない。

水に入って戯れてはならない。

他の僧からの忠告を、軽視したり、無視したりしてはならない。

他の僧を恐がらせてはならない。

病気でもないのに、暖を取るために火を燃やしてはならない。また、それを他人に依頼してはならない。

僧は半月に一度、水浴すべきであり、半月に満たない内に水浴してはならない。ただし、わが国では常に水浴してもよい。

新しい衣を受けた場合は、青色、黒色、黄褐色の3種のいずれかで壊色しなくてはならない。

他の僧に与えた衣を、相手の同意を得ずして、身に着けてはならない。

他の僧の鉢、衣、座具、針筒、腰帯などの資具を、たとえ戯れでもかくしてはならない。

生き物を殺してはならない。

中に虫がいることを知りながら、その水を飲んではならない。

審議の終わった事件を、再び問題として持ち出してはならない。

他の僧の罪を知りながら、それをかくしていてはならない。

未成年の男子に具足戒を授けてはならない。

盗賊と共に歩いてはならない。

女性と共に歩いてはならない。

ブッダの教えを誹謗し、それに対する他の僧の忠告を無視してはならない。

ブッダの教えを誹謗する僧と、寝食を共にしてはならない。

ブッダの教えに異義を称えた若年僧を、保護し、寝食を共にしてはならない。

戒律に反した行為を成し、忠告する他の僧に対して開き直ってはならない。

他の僧が戒律の条項を読み上げているのを妨害してはならない。

戒律の条項を読み上げている時、その中の戒律を犯しておきながら、今までそんな条項があったことを知らなかったなどと言い逃れをしてはならない。

怒って他の僧を殴ってはならない。

怒って他の僧を殴ろうと、手を振り上げてはならない。

嘘のサンカティセーで、他の僧を誹謗してはならない。

疑念をかけ、他の僧を不安にしてはならない。

他の僧が口論しているのを、好奇心で陰から盗み聞きしてはならない。

審議の結果に賛同しておきながら、後になって非難してはならない。

審議に出席中、途中で退出してはならない。

教団の指示で衣を他の僧に与えておいたものを、後になって不平を言ってはならない。

教団に寄進されたものを、個人にまわし与えてはならない。

許可を得ずに、王と王妃が共にいる室へ入ってはならない。

落ちていた物を拾って、着服してはならない。また、それを他人に依頼してはならない。もしそれが僧院内であった場合は、所有者へ変換するまでは保管していてもよい。

他の僧に告げずに、僧院外へ出てはならない。ただし、急用のある場合はこれには含まれない。

骨、角、象牙で針筒を作ってはならない。もし作った場合は、打ち砕かなくてはならない。

寝台や椅子を作る場合、脚は8ニウ(約40センチメートル)の高さを超えてはならない。もしこれを超えた場合は、切り取らなくてはならない。

寝台や椅子を作る場合、棉を入れたものを作ってはならない。

座具を作る場合、規定の大きさ以上のものを作ってはならない。もしこれを超えた場合は、切り取らなくてはならない。

覆瘡衣を作る場合、規定の大きさ以上のものを作ってはならない。もしこれを超える場合は、切り取らなくてはならない。

雨浴衣を作る場合、規定の大きさ以上のものを作ってはならない。もしこれを超える場合は、切り取らなくてはならない。

ブッダの衣よりも、大きなものを作ってはならない。


【パーティデーサニーヤ】パーティデーサニーヤは、許される小罪の内の微罪である。僧の食事について定められており、これに対しての違反は、定められた方法で懺悔することで免罪される。4ヵ条から成っている。

親類ではない尼僧から、直接、食物を受けてはならない。

信徒の家で食物の寄進を受ける際、尼僧が信徒に食物について指示したならば、尼僧に席を外すよう命ずべきである。

病気でもないのに、赴いてはならない家で食物の寄進を求めてはならない。

病気でもないのに、森林で修行する僧が、予め危険であることも伝えず信徒に食物を運ばせ食べてはならない。


【セーキヤ】セーキヤは、許される小罪の内の微罪である。僧の生活についての作法や心得が定められており、これに対しての違反は、心の中で懺悔するこしで免罪される。75ヵ条から成っている。 

パー・ヌンで下半身を正しく整えるべきである。

パー・ホームで上半身を正しく整えるべきである。

信徒の家へ赴く際は、衣を正しく身につけるべきである。

信徒の家で座す際は、衣を正しく身につけるべきである。

信徒の家へ赴く際は、威儀を正すべきである。

信徒の家で座す際は、威儀を正すべきである。

信徒の家へ赴く際は、視線を下げて赴くべきである。

信徒の家で座す際は、視線を下げて座すべきである。

信徒の家へ赴く際は、衣を肩にからげててはならない。

信徒の家で座す際は、衣を肩にからげててはならない。

信徒の家へ赴く際は、へらへらと笑っていてはならない。

信徒の家で座す際は、へらへらと笑っていてはならない。

信徒の家へ赴く際は、がやがやと雑談していてはならない。

信徒の家で座す際は、がやがやと雑談していてはならない。

信徒の家へ赴く際は、ふらふらと体を揺すっていてはならない。

信徒の家で座す際は、ふらふらと体を揺すっていてはならない。

信徒の家へ赴く際は、ぶらぶらと腕を振っていてはならない。

信徒の家で座す際は、ぶらぶらと腕を振っていてはならない。

信徒の家へ赴く際は、ぐらぐらと頭を動かしていてはならない。

信徒の家で座す際は、ぐらぐらと頭を動かしていてはならない。

信徒の家へ赴く際は、腰に手をあてていてはならない。

信徒の家で座す際は、腰に手をあてていてはならない。

信徒の家へ赴く際は、頭を衣で包んでいてはならない。

信徒の家で座す際は、頭を衣で包んでいてはならない。

踵を上げ爪先だけで歩いてはならない。

膝を立て両手で抱えて座してはならない。

食物の寄進を受ける場合は、心して受けるべきである。

托鉢の際は、鉢のみに視線を向けるべきである。

ご飯と共に適量の副食物も受けるべきである。

托鉢の際は、鉢の縁に達するまで食物を受けるべきである。

寄進された食物を食べる際は、心して食べるべきである。

寄進された食物を食べる際は、鉢のみに視線を向けるべきである。

ご飯を穴を掘るようにして食べてはならない。

ご飯と共に適量の副食物も食べるべきである。

ご飯は、端からきれいに食べるべきである。

更に多くの副食物を得るために、ご飯で副食物を覆い隠してはならない。

病気でもないのに、自分の好みで食物を求めてはならない。

他の僧の鉢の中を覗いてはならない。

ご飯を大きな塊にして、口に入れてはならない。

適度な量のご飯を小さく丸め、口に入れるべきである。

ご飯を口に運ぶ前から、物欲しそうに口を開けたままにしていてはならない。

食事の際、口の中に指を入れてはならない。

口の中に食物がある時に、話してはならない。

口の中に食物がある時に、更に食物を投げ込んではならない。

食物を半分に噛み切って食べてはならない。

頬を膨らませ食べてはならない。

手をぶらつかせ、食べてはならない。

あたりにご飯粒をこぼしながら食べてはならない。

舌を出して食べてはならない。

音を立てて噛んではならない。

音を立てて吸ってはならない。

手を舐めてはならない。

鉢を舐めてはならない。

唇を舐めてはならない。

汚れた手で食器を扱ってはならない。

ご飯粒のついた鉢を洗ってはならない。

日傘をさす者に法を説いてはならない。

杖を持つ者に法を説いてはならない。

刃物を持つ者に法を説いてはならない。

武器を持つ者に法を説いてはならない。

草履を履いた者に法を説いてはならない。

革靴を履いた者に法を説いてはならない。

車に乗る者に法を説いてはならない。

寝台で寝ている者に法を説いてはならない。

立て膝をして座す者に法を説いてはならない。

頭を包んでいる者に法を説いてはならない。

顔を覆い隠している者に法を説いてはならない。

椅子に座っている者に、地に座して法を説いてはならない。

高所に座す者に、低所から法を説いてはならない。

座す人に、立って法を説いてはならない。

前を歩く者に、後から法を説いてはならない。

道の中央を歩く者に、道の端から法を説いてはならない。

立ったまま大小便をしてはならない。

大小便や唾を草木にかけてはならない。

大小便や唾を水の中に流してはならない。


【アティカラナサマタ】アティカラナサマタは、教団内で争いが起こった際の裁定の仕方が定められている。7ヵ条から成っている。

罪を犯した僧は、教団の面前において、事実の面前において、法の面前において、裁定されるべきである。

教団は、証人、および証拠をもとに、充分な調査を行なった後、有罪無罪を下すべきである。

精神錯乱の結果犯した罪は、その事実を確かめた上、無罪とすべきである。

裁定は、本人の自白を待って下すべきである。

裁定は、多数決で下すべきである。

自白を求めるには、審議の同意をもって行なうべきである。

有罪無罪の判断がつきかねる場合は、草をもって汚物を覆うがごとく、双方ともに懺悔し和解させるべきである。


 これら、微に入り細に入り定められた戒律を、僧の修行生活における単なるルールと解釈することは適切ではない。戒律は、僧の修行の根本を成すものであると同時に、また僧の存在の根本を成すものでもあるのだ。

 すなわち、戒律なくして僧の存在はなく、戒律を遵守するものであるがゆえに、僧は僧として存在しているのである。そして、仏教もまた然り。5世紀の大学僧ブッダゴーサの言うように、「戒律は仏教の命であり、戒律の在る所、すなわちそこに仏教がある」である。

 もちろん、これら戒律の中には、現代の価値観や倫理感にはそぐわないものもあるが、そもそも宗教とは、人類がその長い歴史の中で研鑽してきた、「いかに生きるか」というテーマに対する膨大なる蓄積である。そこには必ず、我々が生きて行くためのヒントが隠されているはずだ。