2008/07/21

香料



















 香料は大別すると、主に動物性のものと植物性のものに分けることができる。この割合は、圧倒的に植物性のものが多く、動物性のものは遥かに少ない。その動物性の代表的香料である「麝香」「霊猫香」「竜涎香」の3種の内、2種がインドシナに産している。

まず麝香、いわゆる「ムスク」とは、ジャコウジカの雄の生殖腺分泌物である。ジャコウジカは、チベットから中国雲南へかけての山岳地帯に生息しており、雄雌共に角はないが、雄は顎の下まで突き出した左右一対の長い牙を持つ。
 麝香は、雄の生殖器近くの麝香嚢の中に納まっていて、交尾期に分泌し、この匂いで雌をおびき寄せるのである。その雄がおびき寄せる雌は、当然すぐ近くにいるとは限らない。したがって、遥か遠くの雌までもおびき寄せる実際の麝香の匂いたるや強烈なもので、麝香の「麝」という文字は、鼻を突き射すような凄まじい匂いであることから、「鹿」と「射」の2字を合わせ生まれたらしい。すなわち麝香は、ごく薄く希釈して初めて、妙香としての輝きを発するのだ。

 麝香が薬物としての効果を持つことは古くから知られており、発汗を清浄にし、心臓を強くし気力を増すといった効能が、アラビアの古い医学書にも書かれている。また中国唐代には、「挙体異香」といって、女性が微量の麝香を服用し、排泄物や汗といった体臭を消したという記述が残っている。
 しかし古来、薬物としての麝香の最大の魅力は、やはり媚薬としてのものだった。性交合を宇宙の原理とした、インドの「タントラ」や中国の「タオ」の実践にも、麝香は特別な存在価値を有していたし、その狂おうしいほどの芳香と強精剤としての力は、広く中東、西欧世界の閨房の奥深くにも浸染していったのだ。

 つぎに霊猫香、いわゆる「シベット」は、ジャコウネコの肛門腺分泌物である。麝香がジャコウジカの雄だけにそなわっているのとは異なり、霊猫香はジャコウネコの雄雌共にそなわっていて、肛門近くにある香嚢に納まっている。
 霊猫香の採取方法も、麝香がジャコウジカを殺し、体内から麝香嚢を摘出するのとは異なり、体外に突出している香嚢の先端にある穴にヘラを差し込み、中に納まっている乳白色の香料を掻き出すのだ。ジャコウネコは、与える餌が上質であればあるほど分泌する香料の質が良くなると言われていて、また驚かせたり興奮させるとより一層多く量を分泌すると言われている。

 ちなみに、残るもう1つの動物性香料の竜涎香、いわゆる「アンバーグリス」は、マッコウクジラの体内に生ずる病的結成物である。100頭、あるいは200頭に1つあるかないか、という極めて貴重な物で、何らかの折りに体外へ排出され、それが漂流し海岸に打ち上げられるのだ。竜涎香は鈍い灰色の固まりで、永く海面に漂い陽に曝された物ほど上質と言われている。

 しかし、竜涎香はかくして発見されるものの、それがいったい何なのかは、長く謎のままだったのだ。海底の泉から湧き出た泡の固まった物、大量に海中に流れこんだ蜂蜜、海底に生えるキノコ、海中に生息する牛の糞、といったように古来、様々な憶測が張り巡らされていて、『アラビアンナイト』の中にも、この竜涎香についての奇譚が記されている。

〈島には、瀝青色をした液体の生のままの竜涎香の泉がひとつあって、それが太陽の作用で、溶けた蝋のように浜辺に流れ出す。それを大きな魚が海から出てきて呑み込み、腹のなかで温めていて、しばらくたつと、水面に吐き出す。するとそれは固くなり、性質と色が変わる。波はそれを浜辺に打ち上げて、浜辺はその香で馨っている〉

 「アンバーグリス」という呼び名は、竜涎香を最初に発見したと言われているアラビア人の呼び名「アンバル」に由来し、アンバルは香りの王者を意味した。「竜涎香」という呼び名は、イスラム商人によって初めて知らされたアンバーグリスとその奇譚を 中国人が勝手に竜の涎に置き換えてしまい、以後、中国でアンバーグリスは、海底に潜む竜の涎であるという説が定着してしまったのである。

 それが後に、マッコウクジラの体内に生ずる病的結成物であることが判明すると、竜涎香は捕鯨によって直接、体内から摘出されるようになるのだが、依然としてその成因は謎のままで、摘出率が極めて低い確率であることも変わりはない。
 竜涎香も、やはり薬物としての効果を持つことが信じられていて、古くから脳や神経、心臓の妙薬とされていたのだが、香料としての竜涎香の効果としては、なんと言ってもその香気の持続性が上げられる。竜涎香の香気は何百年もの間、失せることなく保たれるらしく、イギリスのハンプトン旧王宮の中には、しみ込んだ竜涎香の香気が1世紀以上に渡って香り続けている部屋があるらしい。

 そして、インドシナに産する植物性の代表的香料と言えば、やはり何といっても「沈香」と「安息香」が上げられるだろう。

 「香すなわち沈」という言葉があり、これは「沈」の秀逸を言い表したもので、沈とはもちろん「沈香」のことである。沈香は比重が重く、水に沈むことからこの名があり、古く中国で「香」と言えば、この沈香だけを意味していたのだ。
 熱帯に自生するジンチョウゲ科のある樹木が何らかの要因で傷つくと、樹脂の分泌が始まり、それがバクテリアの作用で幹に濃密にしみ込み、固まる。こうして、その樹木が倒れ土中に埋没すると、樹質は腐敗し分解消滅してしまうが、樹脂の固まった部分だけは腐敗せずに、そのまま土中に残る。それが沈香である。

 沈香は、熱帯アジア、特にインドシナに多くを産し、「伽羅」と呼ばれる最も上質な物は、主にヴェトナムに産する。伽羅の価値は、他の香料とくらべて桁違いに高く、金をもしのぐほどで、それだけに、古くから伽羅争奪にまつわる血腥い話も多く、確かに、伽羅のその深遠と立ち昇る香気には、人為を遥かに越えた一種霊的と思えるほどの風格と気品がある。かのナポレオンも、香料に対して並々ならぬ愛着を持っていたことが知られているが、中でも特に沈香は大のお気に入りだったらしい。

 安息香とは、ラオスからタイへかけて自生するエゴノキ科のある樹木の分泌物である。その樹幹についた傷から滲み出てくる乳白色の分泌物が、空気に触れ凝固したものが安息香である。古来、最も上質な物を「トラの涙」と称し、安息香はインドシナの他、インドネシアのスマトラにも産するが、やはりインドシナ産の香気には及ぶものではない。
 安息香の薬効としては、古くから強心作用と沈静作用が上げられていた。しかし安息香は、そのやわらかく甘美な香気から、ヨーロッパでは特に、化粧品や芳香料などの香りづけに多用されていたのだ。

 その昔、ヨーロッパの上流社会の女性たちの間では、芳香料の処方を蒐集することが流行していたらしく、新たに手に入れた処方は各自が愛蔵する手書きの処方書に丁寧に書き加えられ、こうして蒐集された処方の質と数が、また彼女たちの1つのステイタスでもあったのだ。
 その、今に伝わる数々の処方書を見てみると、安息香を始めとする、インドシナからもたらされた数々の香料の名前が実に多く散見できる。

 まず16世紀、ヨーロッパでとても人気が高かったらしい「ダマスク・ローズ」という芳香料は、ダマスク・ローズの葉、安息香、麝香、蘇合香、ショウブ、ガリンゲール、ラダヌムといった香料を混ぜ合わせたもので、それを小さな絹の袋などに入れ携帯していたらしい。ちなみに当時は、まだアルコールを使い香料から精油を抽出することが知られていなくて、こういった芳香料は、香料を砕いて混ぜ合わせたり、それをさらに粉末にしパウダー状にしたものが主だったのである。

 つぎに、フランスのアンリ王の愛用したリンネル製品に賦香するための「スミレ香粉」は、白花イリスの根、バラの葉、糸杉、ショウブ、コリアンダー、ラベンダー、白檀、安息香、蘇合香、桂竹香、竜涎香、マジョラムを粉末にして混ぜ合わせたものだったらしい。また、スペインのイサベル女王は、バラの葉、白花イリスの根、ショウブ、安息香、蘇合香、桂竹香、コリアンダーを混ぜ合わせた香粉を愛用していたとのことである。

 当時、ヨーロッパで用いられていた芳香料としては、こういった香粉以外にも、様々な種類のものがあったようだ。練香もその1つである。これは象牙や金、銀などで作られたプランタニエと呼ばれる小さな携帯用の香炉で用いるもので、ブラガンサ公爵夫人とパルマ公爵夫人が愛用したとされる練香は、竜涎香、麝香、霊猫香、桂竹香、シトロン芳香花精を混ぜ合わせ、練り上げて作られたらしい。この二人の公爵夫人は、殊の外、香料に対する執着が強かったようで、彼女たちの愛用した手袋用香料の処方も伝わっている。竜涎香、麝香、ジャスミン油、バラ水を混ぜ合わせたものを、せっせと手袋にすり込んだのである。

 婦人用芳香ネックレス、などというものもあった。安息香、蘇合香、麝香、霊猫香、ラダヌム、バラ水を乳鉢の中で加熱しながら練り上げペースト状にし、それを小さなビーズ状に丸め、糸を通してネックレスにするというのである。また後には、小さな箱のついた指輪も作られ、そこにお好みの香料を入れ、一人密かに芳しき香りを愉しんでいたらしく、これ以外にも、芳香ランプや香粉ふいご、嗅ぎタバコなど様々なものが考案され、紳士淑女たちの豪奢な生活は、溢れんばかりの香りによって彩られていたのである。

 実を言うと、こういったヨーロッパ人の香料に対する執着は、愉しみというよりも、ひとつ大きな必然があってのことだったのだ。当時、平均的なヨーロッパ人は、せいぜい1年に数回、水浴びでもすればましな方だという、清潔とはおよそかけ離れた、驚くべき不潔な生活を送っていたのである。したがって、その体臭はかなりひどかったらしく、この悪臭を消すために、こういった芳香料、また後の香水の文化が飛躍的に発達していったというわけなのだ。

 面白いことに、17世紀、タイを訪れたフランス人宣教師フランソワ・ティモレオン・ド・ショワジは、シャム王から「フランス人は清潔か、歯は手入れしているか、口をすすいだり体を洗ったりするか」と訊ねられたと、その旅行記の中に記している。ショワジはこのシャム王からの質問に対して、「これは愉快な話だ。われわれが見るのは褐色の肌の、全裸に近い人々である」と一笑した後、「しかし彼らは食べること、着る物、話し方に至るまで、全てにおいて世界で最も潔癖な人たちだ」と結んでいる。

 かくして、かの大航海時代が始まり、ヨーロッパにおける香料の需要が増大すると、インドシナ各地の港市から大量の香料が船積みされ、海を渡り始めるのだった。