2009/04/30

熱病

















 マラリアという病気が、蚊によって媒介される伝染病であることは、いまさらわざわざ云々するまでもないことである。
 しかし、これはよく誤解されるところだが、蚊自体に病気を発生させる何らかの力があるわけではないのだ。蚊はあくまでも、「媒介」という役割を担っているだけであって、その病気を発生させるのは「マラリア原虫」という原生動物である。
 そしてそのマラリア原虫は、すべての蚊によって媒介されるというわけではなく、今までおよそ3200種以上発見されている蚊の中でも、「ハマダラカ」一種に限られているのだ。

 実は、このハマダラカという名前は日本語で、漢字にすると「翅斑蚊」となる。字のごとく、翅に斑があるのだ。だが、マラリア原虫はすべてのハマダラカによって媒介されるというわけではなく、マラリア原虫を媒介できるのはメスだけに限られている。
 これに関しては、この蚊だけに限った特殊な習性などではなくて、すべての蚊に共通した習性によるもので、すなわち血を吸うのは産卵するメスだけに限られているからなのだ。メスは、体内の卵に栄養を与えるために血を吸うのである。

 では、このハマダラカのメスがマラリア原虫を媒介する仕組みというのは、いったいどのようになっているのだろうか。
 まず、大原則が一つある。ハマダラカのメスがいても、マラリア患者がいないところではマラリアは発生しない。ようするに、マラリア患者の血を吸い体内にマラリア原虫を取り込んだハマダラカのメスが、次に血を吸う際、唾液の中に潜んでいるマラリア原虫の胞子を唾液とともに人体に注入し感染が成立する、というシステムになっているのだ。

 ちなみに蚊が血を吸う際、人体に唾液を注入するのは、吸血を円滑に行なうためで、蚊の唾液の中には、血管の止血作用を抑制し出血を継続させる成分が含まれている。それを注入することによって、血を凝固させずに吸血できるというわけなのである。実はこの唾液が、我々が感じるあの痒みの原因なのだ。

 こうして体内に入ったマラリア原虫の胞子は、血液の中を漂いまず肝細胞に侵入し、そこで直ちに分裂増殖を開始する。そして、肝細胞の中で成長したマラリア原虫は再び血液の中を漂い、今度は赤血球に寄生しそこでまた分裂増殖を開始し変化してゆく。ここまで感染者には、何ら自覚症状らしきものはなく、いわゆるマラリアの潜伏期間というわけだ。
 しかし、寄生したマラリア原虫の分裂増殖が進行すると、とうとう赤血球が破壊されてしまい、この赤血球の破壊によって、いよいよ感染者に猛烈な悪寒と高熱、発汗という、マラリア特有の症状が現われるのである。

 一方、赤血球を破壊し再び血液の中に飛び散ったマラリア原虫はといえば、その間にすかさず新しい別の赤血球に寄生し、そこでまた分裂増殖を開始する。この、赤血球における寄生、分裂、増殖、破壊を繰り返す内に、血液中のマラリア原虫は確実にその数を増してゆくのだ。
 感染者の体も、この赤血球が破壊される極めて規律正しいサイクルごとに次第に衰弱してゆき、さらに赤血球の破壊が進むと黄疸をともなった貧血にみまわれ、四種あるマラリアの中でも最も悪性の「熱帯熱マラリア」では、最初の発作から1、2週間で死に至ることもめずらしくないという。

 ここで一つ面白いのは、赤血球に寄生し分裂、増殖、破壊を行なうマラリア原虫の中で、やがて赤血球に寄生しない特殊な原虫が現われることである。そしてこれが、マラリア感染の重要なカギを握っているのだ。
 その特殊な原虫とはいわゆる生殖体で、ちゃんとオスとメスに分かれている。ようするに、ハマダラカのメスがマラリア患者の血を吸っても、この生殖体がいなければ、その後のマラリア伝染は成立しないのだ。

 この生殖体が、ハマダラカのメスの胃の中に取り込まれると、それぞれオスとメスが生殖し、受精した接合体は、つぎに胃壁に穴を開け胃の外面に寄生する。そしてここで受精した接合体は嚢状になり、マラリア原虫の胞子を盛んに作り始め、嚢の中は胞子でギッシリといっぱいになる。これがやがて破裂すると、飛び出した胞子は蚊の唾液腺に集まり、こうしていよいよ次の吸血によって新たな感染者をつくる準備がととのう、というわけなのだ。なんとも奇々怪々とした複雑さである。

 こういう自然界の複雑怪奇な話を読んでいると、僕はいつも驚かされる。それは、もちろん当たり前のことだが、実際にそれを突き止めた人がいるということにだ。

 このマラリアという伝染性の熱病と人間との関わりは実に古く、文字がなく記録が残されなかった時代のことも考えると、やはり人間の歴史は、またマラリアとの共生の歴史だったと言えるかもしれない。しかし、この熱病が小さな原生動物によって引き起こされ、それが蚊という空中を浮遊する小さな節足動物によって媒介されているということがわかったのは、まだほんの100年ほど前のことなのである。

 それまでこの熱病の正体は、淀んだ湖沼から発生する有害な空気によるのだという、古代ギリシア以来の説が相も変らず信じられていたのだ。実は「マラリア」というこの病名も、イタリア語の悪い空気という言葉を語源としているのである。

 ちなみにマラリアというこの熱病は、日本でも古くから無縁の病気ではなかったのだ。701年に公布された『大宝律令』の中の医疾令にも、すでにマラリアの名が記載されている。
 その名とは、「瘧」である。『源氏物語』の中で、18歳の源氏が、まだ幼女だった後の紫の上を垣間見て、そのあまりの可憐な姿に心を奪われてしまうのも、彼がマラリアの治療を受けるために赴いた、北山の聖のところでのことだった。もちろん当時の治療とは、加持祈祷である。

 そんな熱病の正体を突き止めたのは、アルジェリアに駐在していたフランス陸軍軍医シャルル・ルイ・アンフォンス・ラヴェランである。彼がマラリア患者の血液の中に、初めてこの原虫の存在を確認したのだ。1880年のことだった。

 ところがである。そのラヴェリンもまた依然として、マラリアは汚染された水や土壌によって人へと感染するという信念を持ち続けていたのだ。そして、とうとうそれが空中を浮遊する小さな節足動物によって媒介されるのだということを突き止めたのは、残念ながらラヴェリンではなく、イギリスの若きインド衛生局医官ロナルド・ロスだったのである。

 しかし実はロスには、偉大なる助言者がいたのだ。それは、中国の廈門に駐在していた熱帯病理学の第一人者、イギリスの清帝国税関付き医務官パトリック・マンソンである。
 彼はそこで、フィラリア症、ようするにエレファントマンの研究をしており、すでに病原体であるフィラリア仔虫が、蚊の体内で発育するということを突き止めていたのだ。そこでマンソンは、マラリアもフィラリアと同じく、蚊によって媒介されるのかもしれないというヒントをロスに与えたのである。

 それからというもの、ロスのマラリアに対する情熱は凄まじいもので、過労のあまり、一時失明状態に陥るほどだったらしい。
 捕獲してきた蚊にマラリア患者の血を吸わせ、くる日もくる日も、この極小の節足動物を解剖し続けたのだ。その姿は端から見ると、狂気を通り越し、まさに滑稽極まりなかったに違いない。蚊というものに対する生物学的な満足な知識もない中、忍耐と直感による気の遠くなる作業の連続で、それはまた彼にとって失意と落胆の連続だったのだ。

 そしてある日、一匹の翅に斑のある蚊の解剖にとりかかった時のことだった。ロスはついに、蚊の唾液腺の中にギッシリと詰まったマラリア原虫の胞子を、確かにその目で見たのである。
 この瞬間、長い人類の歴史とともにあったこの熱病の全貌が、初めて明らかになったのだ。20世紀を目前にした1898年、それはラヴェリンが初めて顕微鏡の中に蠢く原虫を発見してから、なんと18年もの歳月が流れていたのである。

 このマラリアという熱病の治療は、ヨーロッパではその昔、オオカミの右の眼球を塩漬けにしたものを身につけたり、冷たい海に入ったり、ヒルに血を吸わせたりといった治療がなされていたらしい。これに関して我々は、一方的に笑うわけにはいかない。日本でもかつては、加持祈祷だったのである。

 だがそんな摩訶不思議な治療も、大航海時代が始まると飛躍的に進展することになるのだ。
 意気揚揚と新大陸に乗り込み、征服、掠奪、惨殺を繰り返していたヨーロッパ人だったが、実は彼らもまたマラリアに悩まされていたのである。そして皮肉にも彼らは、人間ともみなさず虫けらのように扱っていた先住民たちに救われることになるのだ。

 それは先住民に教えられた、アンデスに自生するある植物だった。「キナ」である。
 キナは、海抜1200メートルから3600メートルの高地に自生するアカネ科の常緑樹で、その樹皮には20種類ものアルカロイドが含まれており、インカの人々はこの樹皮を煎じたものを、古くから熱病の治療に使っていて、このキナの樹皮が、なんとマラリアに対してめざましい効果を発揮したのである。
 そして、後に樹皮から有効成分「キニーネ」抽出されると、マラリアの治療は飛躍的に進展するのだった。

 ここで少し補足しておくと、このキナの出現はまた、一つの兵器の出現にも例えられていたのである。
 この薬を手に入れたことによって、それまで謎の熱病によって行く手を阻まれていた場所にまでも、ヨーロッパ人の侵入を可能にしたのだ。かつて地球に燦然として君臨していた大植民地帝国も、このキニーネなくしては為しえなかっただろうとも言われている。

 そして以後、マラリアの薬は両大戦においても、重要な役割をになうことになるのだ。実際、かつて各地の戦場でマラリアによって命を落とした兵士の数は、とてつもない数だったのである。

 そんな情況の中で、早くも合成薬の開発に着手したのが、封鎖によってキニーネの供給を断たれたドイツだった。そして、そのドイツで開発された化学合成薬レゾヒンを元にして、1943年、ついに「クロロキン」がアメリカで完成するのである。
 このクロロキンという新薬の効果はめざましく、それまでに開発された薬としては最強のもので、これによって、マラリアは完全に撲滅されるかのごとく思われた。

 しかしである。以後、この薬が一挙に多用されたことによって、この薬の効かない、耐性のマラリア原虫が出現してしまったのである。それは、クロロキン完成からわずか十数年後の1957年の出来事で、その耐性のマラリア原虫が最初に確認されたのは、タイだった。

 その後このクロロキンの効かないマラリア原虫は、世界各地で確認されるようになり、地球規模で、今も刻一刻と拡散の一途を辿っているのである。
 そして近頃タイではまた、クロロキン神話が潰えた後、再び脚光を浴びたキニーネに対しても耐性を持ったマラリア原虫が現れ始めているらしい。

 人間の作り出す薬の進歩と、それに対するマラリアという病原虫の進化との駆けっこは、両者の長い長い歴史から見てもまだまだ始まったばかりで、残念ながら、この古い伝染病に対しても我々人間は、まだ決定的な対抗策を持っていないというのが現実なのだ。

 マラリアは現在、世界で毎年3億人から5億人が新たに感染し、年間150万人から270万人もの死者が出ている。