2008/07/20

増殖

















 そもそも生物は、生態系の中で一定の固体数を保とうとする、ある種の制御作用を持っているのだ。

 ようするに基本的に生物は、生態系の中の一構成要素として絶滅することのないように保障されていると同時に、その種だけが異常に増加できないよう制御されているのである。だが、その数ある制御作用の中の何かが弱まると、生物は潜在的に持っている爆発的な増殖力によって激増し、大発生を起こすのだ。

 当然、我々人間もかつては、生態系の中の一構成要素として、この地球上に存在していたのである。出生率と死亡率はほぼ等しく、気候の変動や災害、病気、または肉食獣の補食によって死ぬことは、自然のバランスを保つためにも必要なことだったのだ。

 しかし我々人間は、様々な技術を生み出し、自然からの圧力を制圧し、生態系から抜け出す努力を始めたのである。それによって、出生率は増加の一途をたどり、死亡率は飛躍的に低下し、我々人間はこの地球上で、大発生し始めたのだ。

 我々人間がこの地球上に現れた当初、100万人程度だったと考えられている人口は、紀元元年頃には3億人にまで膨れ上がり、以後、人口は災害や伝染病によって多少制御されながらも確実に増え続け、18世紀頃には7億人、19世紀にはすでに10億人にまで達していた。

 こうして、いよいよ20世紀をむかえると、世界の人口は早くも16億人に達し、さらにそれからわずか30年後の1930年には、なんと20億人を突破してしまうのである。
 だが、その後も人口は衰えることなく、恐ろしい速度でもって増加し続け、1960年には30億人、1977年には40億人、1989年には50億人に達し、新世紀をむかえる直前の1999年には、とうとう60億人に達してしまったのだ。

 このままの調子で増加し続けると2050年頃には、世界の人口は100億人近くにまで達するだろうと国連は予測している。

 そして国連はかなり以前から、将来の世界的な食糧危機を予測していた。この飽食の時代に「食糧危機」という言葉は、あまりにも似付かわしくない。その根拠はいったい何なのか。
 そう。それは、この驚異的な人口増加である。ようするに、地球上に溢れ返った人々が、みな一様にして「食べる」のだ。

 単純に考えて、人口が増えるということは、それだけ多くの食料が必要になるということである。現在、漁業資源はもうすでに減少の一途をたどっているし、野菜や食肉を増産するには、農場や牧場にするさらに広い土地が必要になる。だが地球の陸地面積は、人口の増加とともに広がりはしないのだ。
 陸地は当然、人口が増加したぶん、彼らの宅地に転用されますます狭くなってしまうだろう。それに、今も世界中で着々と進行している都市化現象も、さらに陸地を狭めることは明白である。おまけに、地球温暖化によって海水面が上昇し、陸地面積は確実に狭くなりつつあるのだ。

 100億人を、この地球という限られた環境の中でどう養っていくのか。それは今世紀の最大の問題となることは必至である。

 だが、先進国と呼ばれる誇り高き国の人々が、ここまで飼い太らされた高尚なる美的食欲を放棄し、粗食にあまんじるようになるだろうか。100億人の食欲は、すさまじい。我々人間は、あたかも異常発生したバッタのごとく、この地球の何もかもを食いつくしてしまうかもしれない。そうなれば、動物たちはどうなるだろうか。

 地球の一角に、野性動物が暮らす美しい森があったとしよう。飢えた我々人間は、その森の中で暮らす動物たちの輝く未来に喝采を贈りながら、自らが餓死する道を選ぶだろうか。また、海に楽しく群れるクジラの姿に心癒されながら、死ぬのがクジラではなく人間で良かったと喜びながら、我々は餓死していくだろうか。

ひとつ。動物に生きる権利があるかどうかなどという議論がよく行なわれているが、そんなものはまったく中身のない単なる空論である。ただ言えることは、今も、そしてこれから先も、動物たちが生きられるかどうかということは、すべて我々人間の手にかかっているということだ。