2008/07/21

誤差

















 「マイペンライ」という言葉がタイ語にある。マイペンライとは、日本語にすると「どういたしまして」といった意味で、これは相手への思いやりに満ちたとてもいい言葉である。ところがこれがまた、タイ人の気質を表す悪名高い言葉でもあるのだ。

 マイペンライはこの「どういたしまして」以外にも、「大丈夫」とか、「気にしない」といった意味があって、それが時として我々日本人からはちょっと理解できない使われ方をするのである。たとえば、上司に間違いを指摘された部下が返す言葉が「マイペンライ」だったり、車をぶつけた人がぶつけられた人に返す言葉が「マイペンライ」だったりするのだ。

 ようするにタイ人は、小さなことをクヨクヨ気にしない、とても大らかな気質なのだが、悪く言えばいい加減、無責任といったことにもなり、それがこの「マイペンライ」という言葉に集約されているのである。ある本にはそんなタイ人の気質について、「怠情で、よほど困窮しなければ働かず、自分の運命に甘んじ、金銭に執着せず、生活向上にも関心がなく、隷属的地位に不満を持たない」などと書かれていたりする。
 だが「マイペンライ」は、かつて旅行者たちの間で中国人の気質を表した悪名高い言葉「メイヨー」とは比べものにならないほど、遥かに愛くるしい言葉だと言えるだろう。

 そして、タイ人とほぼ同じ民族文化を共有しているお隣ラオスのラオ人もまたしかりである。「マイペンライ」にあたる言葉は、ラオ語では「ボーペンニャン」と言い、ラオ人もタイ人同様、小さなことをクヨクヨ気にしない、とても大らかな気質なのだ。その気質は、内陸の、あまり外界との接点を持っていなかった彼らラオ人にとって、より顕著だと言えるかもしれない。
 かつてラオスを植民地としたフランス人は、そんなラオ人のことを同じ仏領インドシナ連邦の同胞であるヴェトナム人とカンボジア人を引き合いに出して、こう表現している。

〈稲を植えるのがヴェトナム人、稲の育つのを眺めるのがカンボジア人、そして稲の育つ音を聞いているのがラオ人である〉

 と、まあこんなボーペンニャンな気質のラオ人は、あの戦時中のアメリカへの恨みなど、もうすっかりと忘れてしまっているようだ。
 もっとも、こういったタイ人やラオ人の気質には、もしかすると気候というものも大きく関係しているのかもしれない。身も強ばる寒冷地とは違い、こんな一年中ダラダラと暑い土地で暮らしていると、そんな昔の恨み辛みを考えているのも、きっとバカバカしくなるのだろう。