2008/08/31

進化

















 進化論とは、イギリスの生物学者チャールズ・ロバート・ダーウィンが1859年に出版した『種の起源』の中で説かれている、生物は徐々に単純なものから複雑なものへ、下等生物から高等生物へと進化していったのだとする理論だ。

 これは、今ではもう誰でも理解している言わば1つの常識だが、この進化論が発表されたことによって、当時のキリスト教世界は大混乱に陥ったのである。
すなわちダーウィンの進化論は、『聖書』にある、人間も動物もみな神が一夜にして造ったのだという説を根底から否定することになったのだ。そしてまた、人間は特別な存在などではなく、他の生物と同じ地平にあることを科学的に証明したことによって、ダーウィンは神によって創造された特別な存在だとする人間の尊厳を傷つけ、唯一無二の創造主である神を冒涜したとみなされたのである。

 実は、こういったキリスト教と科学との対立は、何もダーウィンの進化論に始まったことではない。たとえば17世紀、地動説を説いたガリレオ・ガリレイが宗教裁判にかけられ、強制的に地動説を破棄するよう誓わされたことはよく知られているところで、以後もキリスト教は、その『聖書』という1つの絶対真理を前にして、科学との長い長い軋轢の歴史を刻むことになるのである。

 そして、20世紀をむかえた1925年、アメリカのテネシー州デートンのレア裁判所で、ある有名な裁判が開かれたのだ。「スコープス進化論裁判」である。
 被告は、デートンの公立学校の生物教師ジョン・T・スコープス。彼は、州の定めるバトラー法を犯した罪で逮捕され、裁判にかけられることになったのだ。そのバトラー法とは、こんな法である。

〈州内にある学校のうち、運営資金のすべてあるいは一部を本州の公立学校基金から受けているすべての大学、師範学校、およびそのほかすべての公立学校において、教師が『聖書』に教えられている神による人間の創造を否定するいかなる説を教えることも、そしてそれにかわって、人間は下等な動物に由来するという説を教えることも、これを違法とする〉

 ようするに彼は、学校の授業で進化論を教えたことによって逮捕、起訴されたのだ。そして、なんと『聖書』の説く真理と、ダーウィンの説く理論のどちからが正しいのか、司法の場で裁かれることになったのである。

 実はアメリカという国は、プロテスタント教会の保守派から起こった「キリスト教原理主義」のとても強い国で、これは『聖書』に書かれていることは一字一句すべてが正しく、いかなる誤りもないのだという主張を大前提にしている。
 また彼らは、自分たちの信念に同調しない者は真のキリスト教徒ではないという確信をもっていて、それによって時として非常に強硬な姿勢をとることがあり、この進化論論争はその1つの好例と言えるだろう。

 裁判は、全米の注目を集め、人間は神によって造られたのか、はたまたサルから進化したのかと、滑稽なまでに白熱した議論が交わされたのである。
 『聖書』の奇跡を讃える陳述に傍聴席から「アーメン」の大合唱が沸き起こり、「モンキー裁判」と呼ばれたこの大イベントに、チンパンジーの見せ物屋までも押し寄せた。
 そして審理は終わり、ついに判決が下されたのである。

 それはなんと、進化論を学校で教えた生物教師スコープスの有罪判決だった。スコープスは罰金刑を言い渡され、これによって以後、アメリカの授業からダーウィンの進化論はすっかり影をひそめることになるのである。それは、ソヴィエトがアメリカの先手を切って人工衛生スプートニクを打ち上げたことによって、アメリカの学校教育の決定的な遅れに気付かされるまで続いたのだ。

 ところがである。進化論を学校で教えることに対する根強い反感はその後も一向に衰えることなく、再三、スコープス進化論裁判の再燃を繰り返すことになるのである。あのドナルド・レーガンも1980年の大統領選挙戦の際、キリスト教原理主義者の多いテキサス州ダラスの聴衆を前にして、進化論についてこんな演説をしていたという。

〈あれは理論ですよ、ただの科学理論。しかも、ここ何年かは科学の世界でも異議を唱えられてきたし、科学界でも昔のように絶対に正しいと信じられているわけではないでしょう〉

 何年か前のNHKのニュース番組でも、この現代においてもなお進化論を学校で教えることを断固否定し、それを違法として規制しようとしているアメリカ市民の特集をしていた。その中でインタビューされていた市民の答えは、「自分たちの祖先がサルだなんてことを子供たちに教えれば、人間としての自信を失わせ、子供たちを傷つけることになるじゃないか」というものだった。

 だが、21世紀を目前にした1996年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が、歴史的な、極めて重大な発言をしたのである。

〈ダーウィンが初めて採用した見解は、その後多様な知的分野で達成された一連の発見にともなって研究者たちの心の中に深く定着しており、今や進化論を仮設以上の理論であると認めることができる〉

 そう。ローマ教皇がこの年ついに、事実上ダーウィンの進化論との和解と思われる発表をしたのである。