2008/09/01

食欲

















 我々人間の、こと「食べる」という欲望はそら恐ろしいものである。事実、我々人間はその長い歴史の中で、数多くの動物を、まさに絶滅に追いやるまで食いつくしてきたのだ。
 たとえば、ペンギンもそうである。

 実は、現在あの南半球に生息している飛べない海鳥が「ペンギン」と呼ばれるようになったのは、北半球に生息していた「ペンギン」という海鳥にすこぶる似ていたことによって、「南のペンギン」と呼ばれたことがそもそもの始まりだったのだ。
 ペンギンとは古代ケルト語で「白い頭」を意味していて、その北半球に生息していた白い頭の海鳥こそが、1844年に絶滅した「オオウミガラス」である。

 オオウミガラスは、かつて北方ヨーロッパ辺りに広く、おびただしい数で生息していた。しかし、不幸にもこの北半球のペンギンの肉は、南半球のペンギンの肉とは逆に、とても美味だったのである。そして、さらに肉以上に我々人間の舌を魅了したのが、彼らが1シーズンにたった1個しか産み落とさない貴重な卵だったのだ。

 人間たちによる乱獲が始まると、おびただしい数で生息していたオオウミガラスは、次第に人間の住む沿岸地域から姿を消し始め、それに追い打ちをかけるようにして、やがて航海術が発達し人々が容易に海を渡るようになると、彼らの生息数はみるみる内に激減し生息地もどんどんと遠くへと追いやられていくことになる。

 これにはまた、彼らが南半球のペンギンと同じく、陸上では極めておぼつかない足取りだったことが災いしたのだ。ようするに、彼らを捕獲するには、棍棒が1本あれば要は足りたのである。彼らは1度に何百羽、何千羽という単位で撲殺されたのだ。

 そして1830年、彼らにとっての致命的な出来事が起こるのである。当時、彼らの最後の棲息地として知られていたアイスランドの小島の近海で海底火山の噴火が起こったのだ。この噴火によって、彼らの繁殖の場である海岸線の岩場が無残にも崩れ落ち、冷たい波間に沈んでしまったのである。

 この出来事によってオオウミガラスの生存は絶望的になり、そのニュースが広く知れ渡ると、1つの面白い現象が起きたのだ。世界中の博物館やコレクターが我先にと、絶滅近きこの鳥の確保に乗り出したのである。
 棲息地が水没する直前に、近くのエルディという小島に50羽ほどのオオウミガラスが逃げ延びていたことが分かると、彼らと、彼らの卵に莫大な報奨金がかけられ、駆り集められることになった。もちろんこれは、あくまでも陳列棚を飾る剥製にするためであり、したがって、わざわざ生きたまま捕獲する必要などまったくなかったのである。

 そして1844年6月4日、エルディ島に1艚の小舟が繋留された。島へ上がった漁師は、間もなくして卵を温めていた2羽のオオウミガラスを見付ける。2羽はただちに、博物学の発展と、漁師の営利のために絞め殺された。これが、この北半球のペンギンの、最後の2羽だったのである。

 こうして、とうとうオオウミガラスは、博物館の陳列棚に剥製と、南半球に「ペンギン」という愛くるしい名前だけを残し、この地球上から消え去ってしまったのだ。

 また、かつてアメリカ大陸には、その数十億羽というとてつもない数で生息していた、「リョコウバト」という美しいハトがいた。しかし彼らも、アメリカンドリームを夢見て新大陸に押し寄せた、これまたとてつもない数の人間の胃袋の中に、みるみる内に消えてしまったのである。それはまさに、「まさか」の絶滅だったのだ。

 集団で営巣する彼らは、何百万羽、何千万羽という桁外れな単位で行動し、リョコウバトが上空を渡ると、辺りはたちまちにして暗闇に包まれたという。1810年頃、イギリスの鳥類学者ウイルソンが残した記録によると、1つの群れにはなんと22億3000羽ものハトがいたらしい。 そして、そんな彼らの発達した胸肉はまた、きわめて美味だったのである。

 人々は、彼らが上空を渡り始めると、狙いも定めずただ銃口を上にして銃を打っ放した。それだけで、大空から何十羽という美味なる胸肉が、バサバサと地上に落ちてきたのである。
 この肉は、街へ持って行くととても良い値で売りさばけ、やがてアメリカ大陸の東西を貫く鉄道が開通すると、何百樽という、大きな樽に塩漬けにされた莫大な量のリョコウバトの肉が、その新しい流通手段を利用し街へと頻繁に運ばれることになったのだ。
 折しもアメリカは、ヨーロッパからの入植者が増加の一途をたどり人口が爆発的に増え、それにともなう食糧の確保が問題化していたのである。

 実はリヨコウバトという鳥は意外にも、繁殖力の非常に弱い鳥で、そんな彼らがアメリカの地でこれだけの数で繁栄できたのは、ただ天敵がいなかったという、そのたった1つの幸運によったのだ。
 実際、先住民のインディアンも、ヒナを育てている最中の親鳥は決して殺さなかったし、自分たちが食べる以上の、不必要な数を殺すなどということもなかったのである。

 もちろん、リヨコウバトの生存を脅かした原因は、こういった入植者たちの狩猟行為だけではない。新大陸アメリカの開拓も、その大きな原因の1つである。ようするに入植者たちは、広大な森林や原野を次から次へと伐採し大農園へと作り変えていっったわけだが、これによって鳥たちの大切な繁殖地が奪われてしまったのだ。

 ある時には群れが上空を通過するのに、3日もの時間を要したという、その数、無限と思われていたこのリョコウバトが、まさか絶滅するなど、誰ひとりとして予想だにしていなかった。
 1914年9月1日午後1時、オハイオ州の動物園で、アメリカ初代大統領ワシントンの夫人にちなみ「マーサ」という愛称で呼ばれていた1羽の老いた鳥が、突然止まり木から落ち、そのまま静かに冷たい檻の中で息絶えた。これが、かつて数十億羽というとてつもない数で生息していたリョコウバトという美しいハトが、この地球上から絶滅した瞬間だったのだ。

 これは人間が生物を食いつくした歴史の、ほんの1コマに過ぎない。もちろん、たとえ肉が不味くて食べられなくとも、美しい毛皮を、美しい羽根を持っているだけでも、我々人間の欲望を満たすために、多くの種の生物が絶滅していったのである。

 ちなみにタイ語でスズメのことを「ノック・クラチョーク」と言う。ノックは「鳥」を、クラチョークは「見窄らしい」といったことを意味している。よりによって、ずいぶんと酷い名前を付けられたものだ。
 しかし、もしこのスズメたちに柔らかく美味しい豊かな胸肉があり、美しく輝くコバルト色の羽がついていたとしたら、彼らも遠の昔に絶滅していたかもしれないと思うと、その「見窄らしい鳥」という名前もまんざら悪くはないだろう。