2008/08/23

移動

















 ちょうど100年ほど前。20世紀が今まさに始まろうとしていた1900年。イギリス留学のため、9月8日に日本を発った夏目漱石がイギリスへ着いたのは、10月28日のことだった。

午前8時、漱石を乗せ横浜港を出航したドイツ船籍プロイセン号は、神戸、長崎を経て、上海、福州、香港、シンガポール、ペナン、コロンボ、アデン、ポートサイド、ナポリと、点々と南海の港に寄港しつつ、41日目の10月19日、ジェノヴァに入港する。そして、そこから列車に乗り換え陸路パリへ向い、再び船に乗り換えドーヴァー海峡を渡り、10月28日の夜、ようやく目的地ロンドンへ辿り着いたのだ。

 その途中、数日間パリに滞在し、パリの万国博覧会などを見物しているのを差し引いても、日本からイギリスまで50日近い日数を要したことになる。もちろんこれは、漱石が優雅で気長な旅を欲した結果、こういった日程になったのではない。それが当時の、最良にして最短の方法だったのだ。

 その、日本からイギリスまでの50日近い所用時間は、今では10時間足らずにまで縮まったのである。なんとそれは1世紀、すなわちたった100年間で100分の1になった計算になる。まったくもって、驚きとしか言いようがない。

 しかし、そういった距離感は、なにも時間的なものだけによって縮まったわけではないのだ。移動の快適性の進歩によっても、距離感はよりいっそう縮まったと言えるだろう。漱石の日記を読んでみると、その当時の船旅の苦労が縷々と書き連ねてある。

「船少しく揺く、晩餐を喫するに能わず」、「船の動揺烈しくして終日船室にあり。午後勇を鼓して食卓に就きしも、遂にスープを半分飲みたるのみにて退却す」、「船頗る動揺、食卓に枠を着けて顛墜を防ぐ」、「昨日の動揺にて元気なきこと甚だし。且つ下痢す。甚だ不愉快なり」、「床上に困臥して気息淹々たり」、「昨夜、キャビンに入りて寝に就く。熱苦しくて名状すべからず。流汗淋漓、生たる心地なし。此夜、又然り」等々。

 出航前、友人の寺田寅彦に、「秋風の、一人をふくや、海の上」などと洒落れて俳句などを書き送っていた漱石だったが、いざ出航してみるとこんな有様で、途上、妻に宛てた手紙には、「目が余程くぼみ申し候」などと書き記している。

 そもそも旅を意味する英語「travel」は、「苦痛」とか「骨折り」を意味するフランス語「travail」を語源としているらしいが、やはり当時の日本人にとっての海外への旅は、その費用もさることながら、時間的にも、体力的にも、よほどの決心なくしては実現しえないものだったのだ。

 それが今ではどうだろう。たとえば東京からバンコクまでの移動に使う飛行機の所用時間は、およそ6時間。空調管理システムによって適温に保たれた機内の柔らかいシートに腰掛け、スタッフが手元まで運んでくれる冷たいドリンクを飲み、温かい機内食を食べながら、音楽を聴き、映画を観て、そして時として居眠りもし、あっという間に目的地へ到着するのである。
 何もかもが目まぐるしく進歩した現代、ウトウトと柔らかいシートで居眠りしながら、ほんの数日で地球をひと回りすることさえも可能となったのだ。そしてこの距離感はこれからも確実に、もっともっと縮まってゆき、地球はさらに、よりいっそう小さくなっていくはずである。

 そういえば子供の頃、駅で見送る列車がプラットホームから離れどんどんと小さくなってゆき、とうとう線路の彼方に消えてしまった瞬間、その列車はもう自分の想像もおよばない、はるか遠い世界へ行ってしまったような気がした。それは、今、思い描く「外国」などという所よりも、もっともっと遠かった。
 確かに、僕もそんな現代文明の恩恵にあやかり、あっという間に海を飛び越えノラリクラリと海外で休暇を過ごすわけだが、やはりあの子供の頃に感じたはるか遠い世界が、もうこの地球上からなくなってしまったことは、それはそれで何だか少し淋しくもあるのだ。