2008/09/29

開拓

















「イサーン」。タイ東北部は、そう呼ばれている。イサーンは、サンスクリット語の「イーシャーナ」を語源としていて、これはヒンドゥー教の三大神の一柱シヴァを意味している。
 しかし、神々しい名前とは裏腹に、イサーンはタイ全土の中でも最も貧困な地域とされていて、そのイサーンという言葉にはかつて、「貧しく無教養な田舎者」といった侮蔑の意味をも含んでいたらしい。

 そんなイサーンを、ローカルバスの車窓から眺めていると、右も、左も、どこまでも乾ききった潤いのない大地が、遠く地平線の彼方まで続いている。そして、広い大地の中に点在する、実に貧弱な潅木の近くには、同じくらい貧弱な骨張った牛たちが、わずかな草叢から大地の恵みを貪っている。

 しかし、少なくとも17世紀末には、こんな情況ではなかったようだ。当時、この国に滞在していたフランス人宣教師ジェルヴェーズはその頃の有様を、「ここの森林は国土の大半を覆い尽くす極めて広大なもので、そのとてつもない深さによってこの国を横切ることはおそらく不可能だろう」と書き記している。すなわちタイ東北部にもかつては、多くの野性動物の生息する豊かな森林が、確かにあったのだ。

 その森林に異変が起こり始めたのは、19世紀初頭のことだった。ヨーロッパの列強が地球規模で、木材の確保に乗り出したのである。この熱帯の国の森林から伐り出された豊富な木材はかつて、この国の海外貿易における重要な輸出品だったのだ。

 だがもちろんヨーロッパも、かつては南部地域をのぞいた全土のほぼ95パーセントが、鬱蒼とした豊かな森林に覆われていたのだ。
 ところが、人口の増加による生活資材としての木材需要の増大や農地の拡大によって、森林は次第に姿を消し始めるのである。そしてさらに、産業構造のめざましい発展によって、またその結果として生じた生活様式の華々しい向上によって、木材は様々な分野で飛躍的に需要をのばし、ヨーロッパの森林は見る見るうちに伐りつくされてしまうことになるのだ。

 そんな情況の中、イギリスでも木材資源の枯渇は、早くから深刻な問題となっていた。特に大航海時代をむかえ17世紀になると、すでに大型の輸送船や軍艦を造るための木材を国内で確保することが難しくなり、イギリスは、スカンジナビアやロシア、バルト海の沿岸から木材を調達し始める。だが、17世紀後半になると、もうヨーロッパの主要な積み出し港周辺の森林はほとんど伐りつくされてしまうのだ。

 そこでイギリスは、次にアメリカからの木材の調達に乗り出すのだが、これも18世紀末になると、主要な河川周辺の森林はほとんど姿を消してしまう。そして19世紀初頭、アメリカに続き木材の調達を行なっていたカナダにおいても主要な森林がほとんど伐りつくされてしまうと、いよいよイギリスは東南アジアの森林に目を向けることになるのである。
 こうして、やがてタイの森林から伐り出された膨大なチーク材がイギリスを目指し、はるばる海を渡り始めるのだ。

 実はこの「チーク」と呼ばれる、ここインドシナに自生するクマツヅラ科の高木は、極めて大きな強度と優れた耐久性をかねそなえた、まさに船材として最適なものだったのだ。だがトラックはおろか、道路すらなかった当時、この比重の重い大木を山地から伐り出し運搬するには、相当な労力を要したのである。

 その最盛期、タイでは数万頭ものゾウが作業に従事させられていたらしい。伐採されたチーク材はまずゾウに牽かせ、山から下ろし、川まで運ばれた。そして、そこから川に浮かべられ、支流から本流へと、チャオプラヤ河をはるばる河口のバンコクまで流されたのである。
 しかし、こんなふうに言葉にすると、至極簡単な作業のように思えるが、実際は、我々が思い描くよりもはるかに大変な作業だったのだ。なにぶんにも、流されるのは小さな笹舟などではなく、巨大な木材である。

 必然的にその作業の多くは、川が水量を増す雨季に行なわれるものの、いくら雨季とはいえ、途中、何らかの障害によって木材の流れが止まってしまうこともあった。そんな時はまたゾウを使い、流れなくなってしまった巨大な木材を引き戻し、押し流し、こんなことを何度も何度も繰り返しながら、下流へ下流へと流していったのである。
 なんと、山から伐り出された一本のチーク材がバンコクの河口まで辿り着くには、平均して4、5年もの歳月を要したらしい。現代からは想像もつかない、気の遠くなる話である。

 こうして19世紀初頭、ヨーロッパ列強の侵食によって異変が起こり始めたこの国の森林は、確実に、しかも急速に減少し始めるのだ。そしてさらに、この国の米による国際市場への進出が始まり水田需要が爆発的に増大すると、いよいよこの国の森林は壊滅的な事態をむかえることになるのである。
 ある資料によると、タイの森林は1961年の時点で、全土の52.3パーセントにまで減少しており、それからまたわずか30年の間に26.0パーセントにまでも減少してしまっているのだ。

 実は、そんなタイ全土の中でも最も森林の減少の激しいのが、タイ東北部イサーンなのである。1961年の時点で、42.0パーセントにまで減少していたイサーンの森林は、1973年になると30.0パーセントにまで減少し、1982年には15.3パーセントに、そして1993年には、12.7パーセントにまでも減少してしまっているのだ。
 すなわち、イサーンではわずか30年余りの間に、なんと7割もの森林が消滅してしまったのである。

 僕はいつも、タイの田舎をバスで走っていて、すっかりと見渡すかぎりの荒野と化してしまった大地の中に、ポツンと一本だけとり残された孤独な大木を見つけると、必然なのか、それとも偶然なのか、その木が今まで人間に伐り倒されることなく、そこにそうして残ったという奇跡のことを思う。そして改めてまた、人間という生き物のいとなみの壮絶さを思わずにはいられない。
 イサーンには、太古から途切れることなく続いてきた、人間と自然との関わりにおける一つの答えが、現実の風景として広がっているのだ。

 あの日、荒野の中にボツンと取り残されていた大木の傍からバスに乗り込んだ親子は、僕の斜め後の席に座っていた。母親は、子供の肩をやさしく抱きかかえながら居眠りを始め、子供もまた、母親の膝に吸い付くようにして眠っていた。
 その小さな子供が大人になる頃、あの辺りはいったいどうなっているだろう。あの大木は、まだあそこで無数の木の葉を風に揺らしながら、涼しい木陰を落としているだろうか。
 またそんな大木が、かつてのように多くの仲間たちに囲まれ空いっぱいに枝を広げる日が、はたしてこれからやってくるだろうか。もしも未来に、そんな日が本当にやってくるとすれば、それは、我々人間がこの地球上から消え去った後のことなのかもしれないが。