2009/10/01

行方

















 この地球上には、確かに過去の世紀に比べて格段に少なくなってはいるものの、まだまだ我々人間に「発見」されていない種の生物が、どこかに棲息している可能性がある。しかし大型哺乳類に関しては、もはや19世紀までにほぼ発見され尽くしただろうと言われていた。実際、20世紀になって発見された大型哺乳類はわずか2種しかないのだが、その1種が1994年、ラオスの山中で発見された。「サオラー」である。

サオラーはオリックスに類するウシ科の偶蹄類で、以前、国境を隔てたヴェトナム側で幼獣が確認されてはいたが、成獣が捕獲されたのはこれが初めてだった。この21世紀を目前にした、ラオスで新種の大型哺乳類発見という世界的な大ニュースを、僕は日本のテレビで喰い入るようにして見ていた。

 ちなみに捕獲されたサオラーは、直ちに動物園での飼育が開始されたが、捕獲後わずか2週間で死亡した。死因は環境の変化と食料不足とされ、ようするにこの新種の動物が、いったい何を食べているのかわからず、とうとう何も口にしないまま檻の中で静かに息絶えたのである。その後の解剖によると、このサオラーはメスで妊娠していた。胎児はすでに体も形成されていて、この世に生まれ出るのはもう間近だったという。

 そもそも生物と環境との関係はとても親密で、またとても複雑なものである。そして、それに関して我々人間が知り得ていることは、まだまだほんの一部分に過ぎず、その我々の多く無知が、過去に多くの悲劇を生んできたのだ。

 その悲劇、すなわち人間がもたらした生物の絶滅は、たとえば食欲を満たすためや、婦人たちの身を飾る羽根や毛皮のための乱獲、また「狩り」という紳士たちの優雅な嗜みによる殺戮といった直接的なものだけではなく、無知ゆえに、それは我々人間の予想だにしなかった方角からやってくる場合もあったのだ。

 たとえばハワイ諸島で可憐な美声を誇っていた鳥「オオハワイミツスイ」は、侵入してきたアメリカ移民によって棲息地である森林を伐採され、そして彼らの絶滅をさらに加速させたのは、その際に持ち込まれた疱瘡だったし、「ラナイハワイツグミ」や「キゴシクロハワイミツスイ」もまた、貿易船が運んできたマラリア蚊によって絶滅させられた。

 船が運んできたのは、そういった病原菌だけではない。積荷の影でひっそりと息を潜めていた密航者ネズミもいた。同じくハワイ諸島のとべない鳥「レイサンクイナ」は、アメリカの戦艦の寄港によって上陸したネズミによって、徹底的に卵やヒナを食いつくされてしまったし、ニュージーランドの生きた化石と称された鳥「オークランドアイサ」も捕鯨船の寄港によって上陸したクマネズミによって同じ運命を辿った。

 密航者ではなく、乗客のよきパートナーとして上陸したネコも、世界各地で大活躍した。ハワイ諸島の王族の王冠を飾った美しい羽根を持つ鳥「ムネフサミツスイ」は彼らの大好物となったし、メキシコのグアダルーペ島の「グアダルーペハシボソキツツキ」や「グアダルーペコシジロウミツバメ」も、カナリア諸島の「カナリアミヤコドリ」も、やはり無邪気なネコたちの犠牲になり姿を消すことになった。

 また人間たちは、彼の地でも紳士としての嗜みを忘れないよう、狩りをするための遊び相手としての動物たちも同行させていた。オーストラリアにイギリス紳士たちが持ち込んだアナウサギは、心優しき「ミカヅキツメオワラビー」の住みかを徹底的に掠奪し、この肉食動物のいない楽園で彼らは爆発的に繁殖することになった。

 そんな紳士たちの良き遊び相手だったはずのアナウサギが、やがて大切な農作物を食い荒らす天敵になると、今度はそのアナウサギを退治するために、新たにイタチやキツネたちを呼び寄せることになった。突如、楽園に出現したこの肉食動物たちは、その期待に答えアナウサギの数を減らしはしたが、同時に部外者だったはずの「サバクネズミカンガルー」や「ギルバートネズミカンガルー」もが、イタチやキツネたちの食卓にのぼることになり絶滅へ向けまっさかさまに転落してゆき、お隣のニュージーラントでも「ホオダレムクドリ」や「ワライフクロウ」が同じ運命を辿った。

 また大航海時代の勇者たちは、船出の際、己れの食料として生きたブタやヤギを同船させ、次ぎなる航海の際の食料として寄港した島に放した。したがって次ぎの航海では、手間のかかる生きた食料を同船させなくとも、島に放した食物をしとめるための銃だけを同船させればいいというわけである。ヤギは島の植物を貪欲に喰いつくし、またブタは野性に戻すと何代かでイノシシに返る習性があり、雑食性のイノシシと化した野性ブタは島の何もかもを喰いつくし、タヒチ島の水辺の妖精「タヒチシギ」も、まもなく彼らの犠牲になりこの世から姿を消した。

 もちろんこれらの絶滅は、ダーウィンの言うところの「自然淘汰」ではない。ちなみに、1600年以降に絶滅した哺乳類の内、25%は自然による絶滅、いわゆる「進化のための絶滅」と考えられているが、残りの75%は我々人間によってもたらされた絶滅だと考えられている。その人間によってもたらされた絶滅の内、33%は食肉や装飾品のための乱獲、及びレジャーのための狩猟による絶滅と考えられ、23%は先の例のような人間が持ち込んだ異種の生物による絶滅と考えられている。そして残りの19%が、現在、最も重大な問題と化しつつある、我々人間による環境の破壊による絶滅だと考えられている。

 ラオスの山中で発見されたサオラーたちに未来は残されているか。もちろん、これは彼らだけに限ったことではない。たとえばメコン本流にダムが建設されれば、そこを棲かとするカワイルカたちも、かつてチャオプラヤ河で絶滅していった兄弟たちと、おそらく同じ運命を辿ることになるだろう。

 生物と環境は「生態系」というシステムの中で相互にバランスを保ちながら存在している。生態系の構成要員である生物たちは、あまねく平等に、突発的な絶滅を防御したり、爆発的な繁殖を制御するシステムによって、自然界での生存を保障されているのである。

 もちろん我々人間も、当初はそういった自然界における生態系の一員として存在していたはずである。したがって、人間が気候の変動によって凍死することも、餓死することも、伝染病によって病死することも、猛獣によって捕殺されることも当然のことであり、生態系のバランスを維持する上で必要不可欠なことだったのだ。ひとつ。生態系の中からある種だけが異常増殖することは、生態系のバランスを乱すだけにとどまらず、その生態系自体の破滅をきたすことになるという事実を忘れてはならない。

 しかし我々人間は、とうとうその自然界から抜け出してしまった。そしてやがて人間たちは、山を切り崩し、森林を伐採し、地表を塗り固め、それまで自然界には存在していなかった物質を作り出し大量使用し始めた。そのために人間はまた莫大なエネルギーを必要とすることになり、新たなエネルギーを確保するため、ありとあらゆる手段を駆使し、地球を変質、いわゆる「開発」してゆくことになったのである。もちろん、そういった自分たちの営みが自然界に及ぼす影響がどのようなものであるかなど、永らく、まったく眼中になどなかったのだ。

 その結果として我々人間はこの地球上で、森林消滅、生物種絶滅、土壌侵食、砂漠化、大気汚染、海洋汚染、温暖化、酸性雨、オゾン層破壊、有害廃棄物、そして人口増加といった、山積みの問題を抱えることとなる。まさに人間は、生態系の中での動植物たちのように、相互に補完し会い、自然を維持永続させてゆく共生の習性を失い、人間は自然に対し危害こそ与えるが、決して利益を与える存在ではなくなってしまったのである。地球にとって人間という生物の出現は、最も不幸な出来事だったのかもしれない。

 こういった現在この地球上で起こっている数々の悲劇は、人間が石を道具として使い、火を操る術を身につけた時点で、すでにこうなることが約束されていたと言えるかもしれない。そしてその悲劇が、輝かしきヨーロッパの産業革命によって一気に加速してしまったことは、疑いのない事実である。

産業革命以降のヨーロッパの工業文明は、飛躍的に発達する科学の後盾を得ていよいよ巨大化し、地球に潜在している資源を猛烈に収奪し始めた。そして、人間の飽くなき欲望という基壇の上に築かれた資本主義が、華々しき大消費社会を誕生させると、資源の収奪はますます激化してゆくことになるのである。

 街は、膨大な資源を費やし大量生産された真新しい物であふれ、人間の欲望の拡大を称賛する資本主義は民衆を飼い馴らし、こうして消費の増大が新しい「豊かさ」の指針となっていったのだ。すなわちここで我々人間は、遂に「豊かさ」を精神にではなく、物と貨幣に向けたのである。

 そして、このヨーロッパ原産の価値観は、かつて宣教師たちが伝道した「神」に代わって、新たなる揺るぎなき信仰として、地球の隅々までに伝道されることになる。その結果この信仰は、世界各地のそれぞれの民族のさまざまな価値観を、恐ろしいまでの感染力でもって塗り潰し、ほぼ地球全土がすべてのこの同じ信仰の下に同じ価値観を見出だしてゆくという驚異的な情況を招き、かつての民族が守り続けていた伝統的価値観の多くが、いとも簡単に淘汰されてしまったのだ。

 かくして地球全土がこの同じ信仰の下、同じ価値を求め邁進し始め、地球の悲劇はいよいよ絶望的な結末へ向け加速し始めることになった。だが我々人間も、この地球の自然の中から生まれた、自然の一部にすぎないのだということを忘れてはならない。自然の破滅は、すなわち我々人間自身の破滅なのだ。

 確かに今、どこかの森で、どこかの川で、見知らぬ生き物が絶滅したところで、我々の生活に何の影響もない。しかしそれは自然が発する、破滅へのカウントダウンの警鐘なんだということを、我々は肝に銘じる必要があるだろう。

 ラオスで発見されたサオラーは、その後、世界の生物学者の注目の的となり本格的な学術調査が開始されることになる。それらの調査によって、サオラーの固体数はわずか200頭から300頭と考えられていて、IUCN、国際自然保護連合のレッド・リストによって「絶滅危惧種」に指定された。