2008/10/01

同化


















 フランスによるラオス統治が「愚民政策」だったのに対して、仏領インドシナ連邦の中心だったヴェトナム統治は、まさに「同化政策」だった。
 それは、植民地ヴェトナムを本国フランスと同化させようとするもので、政治、経済、文化、教育のあらゆる面に及んだのだ。

 そこには「野蛮人」の幸福は、白人を模倣し、白人と同じ生活習慣を身につけ、そしてキリスト教に改宗することだとする、誇り高きフランス人の善意があったことは否定しない。
 だがこの同化政策は残念ながら、ヴェトナム人をフランス人と同化させ、お互いに良好な交友関係を確立しようとしたものでは決してなく、あくまでもそれは、植民地統治を円滑に運営し、植民地から効率よく営利を貪り取るための一つの手段だったのである。

 かくして、宗主国フランスによる同化政策は容赦なく行なわれたわけだが、そんな中で、ヴェトナムの文化からある大きなものが失われてしまったのだ。文字である。

 もともと中国の強い影響下にあったヴェトナムでは、かつての日本と同様、古くから漢字が公式の文字として用いられており、漢字は儒学者の文字を意味する「字儒」と呼ばれていた。
 そして日本で平仮名が、片仮名が生み出されたように、ヴェトナム独自の文字も生み出されたのだ。「字喃」である。

 字喃は、漢字をもとにして作られた一種の合成語なのだ。たとえば、「正」を偏に「月」を旁にして正月を意味するといった会意文字や、「南」を偏に「五」を旁にして「ナム」と発音し五を意味するといった形声文字など、まさにヴェトナム民族固有の言葉を書き記すことへの情熱が、この字喃の一点一画に溢れていたのである。

 しかし今ではもう、その文字はヴェトナムにはない。今ヴェトナムで使われているのは、「クォックグー文字」と呼ばれている一種のローマ字なのだ。
 そもそもこれは、この国へやってきた宣教師たちが行なった、ヴェトナム語のローマ字表記への変換という試みから始まったのである。そしてこの試みが、この国がフランスの植民地となったことによって、ヴェトナム語のフランス語への同化の一手段として国家規模で奨励されることになり、とうとう字儒、字喃の使用は禁止されてしまうことになったのだ。

 これも、長い歴史の中での一つの文化の変遷にすぎないと言われれば、確かにそうなのかもしれない。それに筆画が多く複雑な字儒、字喃とは違い、簡易なクォックグー文字は、一般民衆の文盲の数を急速に減少させたと言われている。
 だが、文字は文化の根幹を成すものだ。太古から脈々と継承されてきたヴェトナムの文化の中から、字儒、字喃という文字がこのような形で消えてしまったという事実は、やはり一つの悲劇と呼ばれてしかるべき事実ではないかと僕は思う。

 もしもラオスが、愚民政策によって見捨てられることなく、隣国ヴェトナムと同様、宗主国フランスによる精力的な植民地統治が行なわれていとしたら、あの美しいラオスの文字も、字儒、字喃と同様、ローマ字という味気ない文字に変わっていたのかもしれない。