秒読



あ る 時、人  間 が 石 を 使 い、火 を 使 い 始 め た。

そ の 瞬 間、こ の 地 球 の 運 命 は 決 ま っ た ん だ。

我 々 は 子 供 た ち の 未 来 に、い っ た い 何 を 残 し て や れ る の か。

カ ウ ン ト ダ ウ ン は 始 ま っ た。 


At some point, humans began to use stones, and then they began to use fire.

At that moment, the fate of this Earth has been decided.

What can we leave for our children's future?

The countdown has begun.

平等



国連の女性差別撤廃委員会が日本政府に対して、天皇の皇位継承が男系の男子に限ると皇室典範に定められていることが女性差別だとして、皇室典範の改訂を勧告してきた。

この問題を考えるには、当然、そもそも天皇とはいったい何か?という問題を考えなくてはいけない。天皇。そう、それは「国の象徴」だと我々は社会科の授業で教わった。そして授業はそこで終わっている。

しかし、天皇は外国を訪問して晩餐会で国の親交を深めたり、災害が起これば被災地に赴き被災者と握手するための人ではない。もちろんこの現代において、天皇のことを「現人神」などと思っている人はいないと思うが、天皇は日本建国の世、すなわち「神代」から神格化された特別な存在だったのだ。

そして天皇はこの現代においても、一年中「宮中祭祀」と呼ばれる宗教行為を宮中で行っている。すなわち天皇が現人神から人間宣言をし、そして憲法で国の象徴となってからも、天皇は神代から変わることなく宗教の領域の人でもあるのだ。

たとえば毎年11月に行われる、その年に収穫された作物を神に供え天皇が自らそれを食す、宮中祭祀の中でも最も重要な「新嘗祭」は、夜中、御神楽(みかぐら)が奏せられる中、松明の明かりに足元を照らされた天皇が、宮中の神嘉殿に上殿し夜を徹して行われている。

ここで、じゃあ国連の言うことをきいて、もう女性を天皇にすればいいじゃないか!と言い出す人がいるだろう。しかしそれは、ただ男性を女性にするといった、ボールペンのキャップを青から赤に変えるような、そんな単純な問題ではない。おそらくその場合、天皇が男性から女性に変わることによって、宮中祭祀を変えなくてはいけなくなるだろう。これは会社の人事異動のような単純な問題ではないのだ。

参考までにキリスト教の、カトリックの最高司祭であるローマ教皇を選出する会議コンクラーヴェは、いっさい外界から遮断し枢機卿と呼ばれる教皇の最高顧問によって行われる。その枢機卿だが、女性がなることを禁じている。そして当然、コンクラーヴェで選出されるローマ教皇も、女性が選出されることはあり得ない。これは国連の女性差別撤廃委員会にとって、日本の天皇の男系の男子による皇位継承よりも、はるかに重大な女性差別ではないのか?


ここでひとつ重大な問題がある。そもそも「平等」とは、「自由」とともにいまだに解明されていない哲学の大命題だということだ。その解明されていない哲学の大命題を、国連の女性差別撤廃委員会はどう解釈しているのか?

僕は「平等」とはいったい何なのか分からない。しかし今、「平等」は盛んにメディアで目にするようになり、その「平等」はほぼすべて男女の平等を訴えるものだ。もちろんそれは国連が提唱する「SDGs」よって世界的に広まりつつある、来る世の新たな価値観が後押ししていることは間違いない。

すでに幼稚園でも、園児の身につける帽子など、男の子は青、女の子は赤という色分け廃止しているらしい。男の子、女の子と区別することは間違っているのだと、教育の現場は子供たちに教えているのだ。

そんな社会の変化を目にする時、僕はいつもある疑問が頭の中に再燃する。

なぜ女性はスカートをはくのか?そしてスカートの下はなぜ下着でなくてはいけないのか?実はそれに関しては、世界の服飾史からかなり徹底的に調べたことがあったのだが、答えは出なかった。また、なぜ女性は胸元が広く開いた服を着るのか?なぜ女性は化粧をするのか?といったように、僕の疑問はさらに広がった。

もしそれを男性が女性に強要しているのだとすると、それは重大な女性差別であって人権侵害だが、少なくとも現代において、それはそういう問題ではなさそうだ。

その問題を考える時に必要なキーワードが「女性らしさ」だ。もちろん過去の歴史の中で、それを男性が女性に強要していたという現実があったのかも知れない。しかし現代では、多くの女性が自らがその「女性らしさ」を追求しているのだ。

それはまだ根強い男性社会が、暗黙の内に女性に「女性らしさ」を強要しているのであって、女性はそうしないとこの社会では生きていけないのだという反論もあるだろう。だから女性は下着の上にスカートをはき、胸元の広く開いた洋服を着て、化粧をし、政治家もまた色鮮やかない洋服を着なくてはいけないのだと。

僕はその反論を否定しない。しかし、もしそれが事実だとすれば、園児の帽子の色分けをなくすといったこと以前に、国連の女性差別撤廃委員会がまず行わなくてはいけない、来る世のための意識改革だと思う。


しかし今、国連が提唱する「SDGs」よって世界的に広まりつつあるこの来る世の新たな価値観を、僕は間違っているとは言わないが、恐ろしさも感じている。男の子、女の子と区別することは間違っているのだと教育された子供たちが大人になる。我々大人は、そんな子供たちにどんな未来を与えようとしているのか?

極端な話、「男らしさ」「女らしさ」という言葉が前時代の差別用語となり、アパレルのデザイナーがメンズ、レディースといったように性別によってデザインに差をつけることは性差別だとされ、男性も女性もユニセックスの同じデザインの服を着て、スポーツも男性と女性が同じグランド同じコートで性別に関係なく共にプレイし、トイレも性別による区分けはなく男性も女性も同じトイレを使用し、メディアも「男」「女」という言葉を使わず男性も女性も同じく「人」という言葉を使い、世の中から男性、女性といった性別がすべて撤廃される。

我々は本当にそんな社会を望んでいるのか?

1912年、ノーベル生理学・医学賞を受賞したフランスのアレクシス・カレルは、その著書『人間 - この未知なるもの』(三笠書房)の中で、こんなことを書いている。

〈女性は男性とは非常に異なってる。女性の体のすべての細胞1つ1つに、女性のしるしがついている。女性の諸器官、なかんずく神経組織についても、同じことが言える。生理学の法則と同様に、不動のものである。それは、人間の希望によって取り換えることはできないのである。あるがままに受け容れなければならないものなのだ。女性は男性を真似ようとせずに、その本来の性質に従って、その適性を発展させるべきである。文明の進歩の中で、女性の担う役割は男性のものよりも大きい。女性は、自分独自の機能を放棄してはならないのである〉

「男女平等」は、男性、女性という現実として存在している性別を正しく理解した上でなされるものだ。そして「平等」という言葉もまた、平等とはいった何なのか?といったことを、徹底的に熟慮したうえで使用すべきだ。

この現代社会で最も力のある言葉は「自由」と「平等」だ。それは疑う余地のないことだ。この言葉を使うことによって、あらゆる反論を押し黙らせることができる。そして「自由」も「平等」も共に、いまだに解明されていない哲学の大命題であって、そんな言葉を簡単に使ってしまう恐ろしさを、僕は国連の「SDGs」に、そして今回の国連の女性差別撤廃委員会による日本の皇室典範改訂という勧告に感じている。

それは、意味の分からない言葉を使う恐ろしさ。そして、意味の分からないまま「自由」と「平等」という言葉はどんどん力を増し、我々の価値観を塗り替え、世界を動かしているのだ。


ひとつ!確かにネパールのクマリのような、女性への差別として問題視されている宗教行為も世界にはある。それは実際に被害者とされる女性がいる以上、国連の介入による早急な対処が必要なのかもしれない。

しかし日本の皇室典範に定めている男系の男子による皇位継承や、バチカンのコンクラーヴェによる男性の教皇の選出について、世界の女性ははたしてそれが女性に対する差別だという被害者意識をもっているのだろうか?そしてそこに国連が介入し、日本に女性の天皇を誕生させ、カトリックに女性の教皇を誕生させること、それこそが男女平等なのだと世界の女性は本当に望んでいるのだろうか?僕には分からない。

「無知と、そして良心的な愚かさほど危険なものはない」そう語ったのはキング牧師だ。

未来



可能性とは?
それは自分で見つけるものだ。

才能とは?
それは自分で気づくものだ。

試練とは?
それは自分で立ち向かうものだ。

成功とは?
それは自分で掴み取るものだ。

失敗とは?
それは自分で学び取るものだ。

失望とは?
それは自分で噛み砕くものだ。

未練とは?
それは自分で断ち切るものだ。

後悔とは?
それは自分で乗り越えるものだ。

限界とは?
それは自分で叩き壊すものだ。

そして未来とは?
それは自分で切り開くものだ。


自分を信じること、それを恐れるな。 

たとえ自分を信じてくれるのが、この世に自分しかいなかったとしても。

自分を信じること、それがすべての始まりなんだよ。

契約



初めに神は天と地を創造された。地は混沌として何もなく、闇が深淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてを動いていた。神は言われた。
「光あれ」
こうして光があった。神は光を見て良しとされた。神は光と闇を分け、光を「昼」と呼び、闇を「夜」と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第1の日である。

神は言われた。
「水の中に大空あれ。水と水を分けよ」
神は大空を造り、大空の下の水と大空の上の水に分けさせた。そのようになった。神は大空を「天」と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第2の日である。

神は言われた。
「天の下の水よ、ひと所に集まれ。そして乾いた所よ現れよ」
そのようになった。神は乾いた所を「地」と呼び、水の集まった所を「海」と呼ばれた。神はこれを見て良しとされた。 
さらに神は言われた。
「地よ草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれ種を持つ実をつける木を、地に芽生えさせよ」
そのようになった。地は草を芽生えさせ、種を持つ草と、それぞれ種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て良しとされた。夕べがあり、朝があった。第3の日である。

神は言われた。
「天の大空に光る物があり、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。そして天の大空に光る物があり、地を照らせ」
そのようになった。神はふたつの大きな光る物を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせた。神はそれらを天の大空に置き、地を照らし、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせた。神はこれを見て良しとされた。夕べがあり、朝があった。第4の日である。

神は言われた。
「生き物よ水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空を飛べ」
神は水に群がる大きな獣、水に群がりうごめく生き物をそれぞれ、また、翼のある鳥をそれぞれ創造された。神はこれを見て良しとされた。そして神はそれらのものを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、海の中に満ちよ。また鳥は地の上に増えよ」
夕べがあり、朝があった。第5の日である。

神は言われた。
「地よ、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれ産み出せ」
そのようになった。 神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て良しとされた。 
また神は言われた。
「我にかたどり、我に似せて人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう」
神はご自身にかたどって人を創造された。神にかたどって男と女を創造された。

神は彼らを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」
さらに神は言われた。
「見よ。この全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。また地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにあらゆる青草を食べさせよう」
そのようになった。神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それらは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第6の日である。

このようにして天地万物は完成された。そして 第7の日に、神はご自身の仕事を完成され、第7の日に神はご自身の仕事を離れ安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第7の日を神は祝福し他の日と聖別された。


これが天地創造の由来である。主なる神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。

しかし、水が地下から湧き出し、土のおもてのすべてを潤した。そこで主なる神は、土の塵で人「アダム」を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れた。アダムはこうして生きる者となった。 

主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくったアダムをそこに置くことにした。主なる神はそこに、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と、善悪の知識の木を生えいでさせた。

主なる神はアダムを連れて来て、エデンの園に住まわせ、アダムがそこを耕し、守るようにされた。そして主なる神はアダムに命じて言われた。
「園のすべての木から実を取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木の実は、決して食べてはならない。食べるとお前は必ず死ぬ」

さらに主なる神は言われた。
「アダムが独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」
主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、アダムのところへ持って来て、アダムがそれをどう呼ぶか見ておられた。アダムが呼ぶと、それはすべて生き物の名となった。 アダムはあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けた。しかし、自分に合う助ける者はまだ見つけることができなかった。

そこで主なる神は、アダムを深い眠りに落とされた。アダムが眠り込むと、彼の肋骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、アダムから抜き取った肋骨で女をお造りになった。主なる神が彼女をアダムのところへ連れて来ると、 アダムは言った。
「ついに、これこそがわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。これを女(イシャ)と呼ぼう。まさに、男(イシュ)から取られたのだから」
こうして、アダムは父母と離れて女と結ばれ、ふたりは一体となる。アダムと女は、ふたりとも裸であったが恥ずかしがりはしなかった。

主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。
「ほんとうに園のどの木からも実を取って食べてはいけないなどと神は言われたのか」
女は蛇に答えた。
「いいえ、わたしたちは園の木の実を取って食べてもよいのです。 でも、園の中央に生えている木の実だけは、決して食べてはいけないし、触れてもいけない。それはわたしたちが死んでしまうといけないからだと神はおっしゃいました」
蛇は女に言った。
「決して死ぬことはない。それを食べると目が開き、神のように善悪を知るものとなることを、神はご存じだからだ」
女が見ると、その木の実はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。そこで女は実を取って食べ、一緒にいたアダムにも渡したので彼も食べた。すると、ふたりの目は開き、自分たちが裸であることを知り、ふたりはイチジクの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。

その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の目を避け園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた。
「どこにいるのだ」
彼は答えた。
「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり隠れております。わたしは裸ですから」
神は言われた。
「お前が裸であることを誰が教えたのだ。取って食べるなと命じたあの木から実を取り食べたのか」
アダムは答えた。
「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木からその実を取ってくれたので私も食べました」
主なる神は女に向かって言われた。
「何ということをしたのだ」
女は答えた。
「蛇にだまされ、食べてしまいました」
主なる神は、蛇に向かって言われた。
「このようなことをしでかしたお前は、あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で最も呪われるものとなった。お前は生涯這いまわり、塵を食らう。お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼らはお前の頭を砕き、お前は彼らのかかとに噛みつくだろう」
そして神は女に向かって言われた。
「わたしは、お前の出産の苦しみを大きなものにする。お前は苦しんで子を産まなければならない。そしてお前は男を求め、男はお前を支配するだろう」
神はアダムに向かって言われた。
「お前は女の声に従い、取って食べるなと命じた木の実を食べた。それゆえに、土は呪われるものとなった。お前は生涯、食べ物を得ようとして苦しむ。お前に対して土はイバラとアザミを生えいでさせる。野の草を食べようとするお前に。お前は額に汗を流してパンを得る。土に還るそのときまで。お前がそこから取られた土に。そして、塵にすぎないお前は塵に返るのだ」〈旧約聖書 / 創世記〉

若夢



僕は長い、気の遠くなるほど長い、春でもなく夏でもなく、また秋でも冬でもない、どの季節にも属さない隙間の季節を、ひとりあてもなく歩いていた。

大学生活は、世の学生の例に漏れず、若い渇望と焦燥に扇動され、ガラスのように脆い達成感と、2、3の甘い傷も負った。しかしそのどれもが、まるでテレビのブラウン管の中の出来事のように、冷たく虚ろで、恐ろしいまでに実体がなかった。そんな隙間の季節を僕は、自分でも面白いのか面白くないのか、何がなんだかわからないままに生きていた。

ふと立ち止まったのは、そんな大学生活もいよいよ4年目になり、就職戦線の幕開けとともに、社会という現実と初めて対峙した時だった。僕は、その現実を前にした瞬間、何もかもを見失った。

僕は生きていくことに、確固とした意味がほしかったのだ。そしてその思いは、次第に「欲求」から「必然」へと変わっていった。確かに僕も、そんな尊大な理想に押しつぶされそうになり、自分で自分のことが突然、嫌になることもあった。だが、この自分でも何がなんだかわからない理想を持ち続けることが、あの頃の僕の唯一の存在価値でもあったのだ。

でも僕にはどうしてもわからなかった。自分の「これから」をどう受けとめ、自分の第一歩をどう社会に踏み出せばいいのか。確かに、世の例にしたがい、何もわからないまま逆に社会の流れに飲み込まれ、その中で押し寄せる波にもまれながら暗中模索するという手もあった。だが、その当時の僕にとってそうすることは、自分の人生に対する敗北でしかなかった。

かといってそんな問いに対して、おいそれと答えが出ると思い込むほどウブでもなかった。しかし、わからないことをわからないままにして、自分をだまして生きていくことも、その自分の無能さを何かのせいにして生きていくことも、若さが許さなかったのだ。

そこで僕は、就職活動を放棄し、何もかもを見失ったまま卒業式を終えると、そのまま飛行機に飛び乗った。一度、自分を取り巻くこの社会から一歩出て、今までとは別のことを考えてみようと思い立ったのだ。そんな時ふと街角で、格安航空券の看板に出くわした。行き先などどこでもよかったのだ。


「僕は逃げ出したのか?」


エアインディア365便。行き先はバンコクだった。

照明が落とされた薄暗い機内で、何気なく手元を見ると、テーブルの上に置き去りにされていたカップは、いつの間にか下げられていた。そのカップの中に残っていた、少し口をつけただけの紅茶は、確かにまだ温かかったはずだ。しかし、そんなことはもうどうでもよかった。僕はひとり、飛行機の小さな窓に寄り掛かったまま、いつまでたっても代わり映えのしない真っ暗な夜の空を、何時間もただぼんやりと眺めていた。

そして、とうとう飛行機は星屑を敷き詰めたような街の光を眼下に、暗い夜の滑走路に滑り込んだ。機内から出ると、生まれて初めて体感する不快な熱気と、身にまとわりつくような湿気に包まれ、現実であるこの世界が、あたかも夢の始まりのような錯覚におちいった。

その錯覚が、初めて現実のものだと実感したのは、ようやくチャイナタウンの外れにみつけた、崩れかけたアリの巣のようなホテルのベッドで、長い伸びをした時だった。ラジオから漏れる、メリハリのない声調言語が耳元をくすぐり、ぼんやりと裸電球が一つだけ点る。不快な熱気を癒すものといえば、天井でカタカタと空気をかきまぜている大きなプロペラだけだった。しかし、シーツが白いことだけが妙に心地良く、体に残る飛行機の微動の気怠さも手伝って、次第に瞼が重くなっていく。窓の鉄格子の外では、夜の闇を引き裂くようにして走り去る車の騒音が、重苦しい熱帯の夜空の下に響いていた。

その時僕は初めて、随分と遠くまで来たものだと思った。ちょうど今頃、大学の友人たちは真新しいスーツにネクタイを絞め、それぞれの社会への輝かしい第一歩を踏み出しているはずだ。それにくらべて僕は、現実から先走りする理想と夢だけをたよりに、南国のこの見知らぬ街で、重くなった瞼にただ目を閉じようとしている。もうこのまま永遠に眠りつづけたとしても、また明日という日が始まったとしても、僕には書きなおされる予定や計画など何もなかった。


「僕、旅行することにしたよ」

「お前っ、なにバカなこと考えてるんだ?」

卒業式の帰り道、片桐が僕の話に、突然、怒りだした。

片桐は同じゼミにいた男で、非現実的なことばかりを思いめぐらす僕とは正反対に、彼はいたって現実的な男で、就職活動も我々の先手を切って独走し、一番に大手広告代理店の内定を掴み取った。

片桐と僕がいつどのようなきっかけで話しをするようになったのかは、改めて思い起してみても判然としない。お互い「友達」などという特別な意識をもって接することもなく、しかし、どういうわけか片桐と共有する時間は決して少なくはなかった。時には二人で晩飯を食べるなどという妙な取り合せの一夜も、一夜に限らずあった。

彼は大学の勉強以外に、サーフィンをし、BMWを乗り回し、ジャズを聴き、キーホルダーを集め、そして居酒屋でアルバイトをしていた。

僕が生まれて初めて入った、大人が酒を飲む店というのは、実は片桐がアルバイトをするその店だったのだ。あの日、片桐が突然、給料が出たから俺の店に連れて行ってやると言い出したのだ。その時の光景は、今でもはっきりと憶えている。

まだ残暑の厳しい9月の夕刻。小さな窓から低く差し込む気怠い夕日が、なぐり書きされた品書きの貼りついた煤けた壁一面を赤く染め、そして、身を寄せ合うようにして並んだ小さなテーブルには、仕事帰りのサラリーマンたちの白いワイシャツの背中が並んでいた。彼らはそれぞれネクタイを緩め、プツプツと小さな水滴のついた大きなジョッキからビールを喉に流し込み、テーブルの上には、枝豆の莢や焼き鳥の串が散乱していた。

そんな光景の中、馴染みの客らしきサラリーマンと笑いながら話しをしていた片桐の姿は、自分とは明らかに違う確かに大人の男であり、僕はその時、彼には一生、太刀打ちできないなと密かに思ったのだ。

「だって、自分のやりたいことがみつからないんだ」

「そんなもん俺にだってないよ。だいたいお前はなあ……」

駅へと続く小さな商店街には、今、卒業式を終えたばかりの連中がふざけあい、愉快に騒ぎながら駅へ向かって歩いている。そんな中で、あいつだけが血気していた。

「お前、いったいどうして旅行なんだよ?」

「うん」

「お前の大学の4年間は何だったんだ?」

「ああ」

「お前、就職するために大学に入ったんじゃないのかよ?」

「え?」

確かに僕は、社会の中に暗黙の内に敷かれていた「常識」というレールから脱線し、大きく逸れてしまうことになった。でも僕はそう決心した時、もしもこの決心がたとえ誤りだったとしても、長い人生のほんの一瞬の通過地点にすぎない、この大学卒業という地点のたった一度っきりの躓きで、それからの人生のすべてが台無しになるなどとは思いたくなかったし、なってたまるものかと思っていた。

「お前は本当に面倒臭え奴だな。そんな何がなんだか訳のわからないことばかり考えてないで、早く大人になれ」

これが、駅のホームであいつが口にした最後の言葉だった。

「お前もがんばれ。気がむけば絵葉書でも出すよ。じゃあな」

僕のこの言葉を最後に、お互い別々の電車に乗り込み、これが彼との最後だった。


翌日、目を醒ますと正午だった。窓を開け鉄格子の間から空を仰ぎ見ると、太陽はすでにホテルの真上に達していて、眼下の路地には昼飯の屋台が連なり、香辛料の入り交じった油の匂いが、路上の熱気とともにこの部屋の窓辺まで立ちのぼっていた。

「遂に、来てしまったんだ……」

その込み上げてくる、異様な熱気の不快さにクラクラしながら、僕は初めて少し後悔した。

「いったい、これからどうするんだ?」

こんなことをひとりポツリと口にしたものの、答えなどどこからも返ってこないということも、わかりきってはいた。

僕は気をとりなおし、真水の冷たいシャワーを浴び、路地の屋台で腹ごしらえをした。滴り落ちるランの香りのように甘く、喉を焼き切るほど辛い。煮込まれた得体の知れないものを、細く痩せこけた米の上にかけ、ガツガツと腹にかき込んだ。しこたま汗をかいた。

ふとまわりを見ると、ハンカチで汗を拭きながら食べているような者は誰もいない。何だかとてもみっともなくて、高いのか安いのかわからない飯代を手早く支払うと、そのまま歩道に出て、とりあえず人通りの多い方角へと歩き始めた。肩から下げたバッグの中には、出掛けにホテルのフロントで買った地図が一枚入っていた。


熱帯のデルタに生まれたこの街は、当時豊かな水量を利用し、運河「クロン」が網の目のように伸び、人々の生活は水によって結ばれていた。そして時代は移りかわり、クロンは道「タノン」へと姿をかえ、タノンからまた小さな路地「ソイ」がきざまれた。

こうして僕は、そのいっそう細かくなった網の目の上を、「自由」という痩せ我慢に追い立てられながら、地図を手にあてもなく歩き始めた。


歩いた道は、地図に赤いボールペンで印をつけた。今日は昨日歩かなかった道を歩き、明日は今日歩かなかった道を歩く。照りつける炎昼の太陽が車道を灼き、その中を車が爆音を轟かせながら走り抜け、口の中が巻き上げられる土埃と熱気でカラカラに渇いた。それは、喧騒と熱気の入り交じった、長い長い一日だった。

そして、熱帯の楽土の輝きが西の果てに沈むと同時に、街はいつも暑苦しい夜の闇に包まれた。もう帰りは、地図はいらない。僕の足は、あたかも靴底の記憶を手繰り寄せるかのように、自然とホテルの方角へと進んだ。

デルタの夜。日中、土埃と熱気を撹乱しながら走り抜けていた車はもういない。路地にはいつも落ち着いた暗闇が徘徊していた。そして、そこに連なる家々の間口の奥からもれる、テレビの音や子供たちの笑い声が、あたたかい家庭の明かりとともにその路地の暗闇にこぼれ落ちていた。そんな、あまりにも平凡で、あまりにも幸福な明かりに、一瞬、訳もなく心細くなりもし、僕は毎日ホテルを目指し黙々と歩いた。

  

来る日も来る日も歩き続けた。実を言うとそれは、ただ立ち止まることが恐かっただけなのだ。もしも、この歩くことすらやめてしまえば、僕にはもう何も残されていない。その瞬間、無価値で無能な自分のことを、いやというほど思い知らされそうな気がしていた。それがたまらなく怖かったのだ。

そして毎日が、戸惑いを覚える余裕もなく、目まぐるしい速度で過ぎ去った。日が経つにしたがって、灼けたアスファルトで靴の踵がすり減り、出国当時は真っ白だったTシャツも次第に土埃で薄汚れ、地図が汗と赤いボールペンの書き込みでボロボロになっていった。

そんなある日の夕刻のことだった。僕は突然のスコールにずぶ濡れになった。


あれは、気温の上昇とともに、空気が煮えた蜜蝋のような粘り気のある水蒸気を帯びた、うだるように暑く気怠い夕刻だった。僕は一日を歩き疲れ、肌にはりつく汗と土埃をハンカチで拭いながら、ホテルのあるチャイナタウンへ向かっていた。

そして、ニューロードに交差する小さな路地の手前で立ち止まった時、何気なく空を見上げると、対岸のトンブリーあたりの空の色が少し重くなった。すると、上空はみるみるうちにかき曇り、突然、熱帯の大粒の雨が音を立て地を打ち始めた。

道ゆく人々はいっせいに、クモの子を散らしたように廂を求めて走り出し、アスファルトの上に落ちた雨粒は、地にしみ込むことも、運河へ流れ込むこともかなわず、行き場をなくしたまま渦を巻き、くぼみを求めてゴウゴウと路上を流れ出した。

僕は、あまりの突然の異変に狼狽え、モタモタしている内に出遅れてしまった。駆け出した時には、わずかな廂はすでに人で溢れ、ようやくビルの戸口に逃げ込んだ時には、もう頭から全身ずぶ濡れになっていた。

大粒の雨は、依然として衰える気配はなく、不安に駆られ通りの向こうへ目をやった瞬間、天と地が一瞬にして眩い閃光によってつながり、地を揺るがす雷鳴が体を貫いた。

そのけたたましい雷鳴に飛び上がり、息をのんだ途端に、体がガタガタと震え出した。落雷の轟音のせいなのか。濡れて体に貼りついた冷たいTシャツのせいなのか。心細かった。何がなんだかわからないが、とにかく無性に心細かった。ここまでグラグラしながらも、かろうじて持ちこたえていた突っかい棒が、突然ゴトリはずれてしまったように。

そんな心細さに押し潰されそうになりながら、震える体を両手で抱きかかえ、ポタポタと顔に跳ね返る冷たい雨粒に目を細め、熱帯の自然というものの強大さにただ愕然として見入っていると、何だか、この見知らぬ街の片隅で、ひとり雨に濡れガタガタと震えている自分のことが、急にバカバカしくなった。


その時だった。僕はようやく日本へ帰る時がやって来たんだなと思った。もちろん、僕の掌の中には依然として何もなく、スコールでずぶ濡れになった地図の道にも、まだまだ多くの空白が残ってはいた。でも僕は満足していた。

何がなんだか自分でもわからないままに、来る日も来る日もあてもなく歩き続け、卒業式の帰り道で片桐の言った「お前はバカだ」ということが、やっとここでわかったような気がしたのだ。 

そう、それは小さな敗北だった。だがそう気づいた時、この小さな敗北が、これからの僕の人生への、輝かしい、小さな一歩のように思えたのだ。

見上げると、スコールは心なしか勢いをおとし、路上の雨水も路肩に跳ね返りながら、狭い側溝の隙間に流れ始め、やがて向こうの家屋の上空あたりには、微かに夕刻の光りが差し始めた。とうとう雨季がやって来たのだ。

日本を出て、そろそろ1ヶ月が経とうとしていた。


こうして、出国当時かすかに期待していた、何かを発見するような劇的な幕切れも何もないまま、僕のバンコクの長い旅は終わった。

しかし、それがいったい何だったのかは遂にわからなかったが、何かをひとつ、確かにやり遂げたような気がしていた。そこで、帰国するとその心地よい微熱が体から消えないうちに就職し、僕はようやく社会への輝かしき第一歩を踏み出したのだ。

   *

社会に出た後も、あの尊大な理想は、依然として僕の脳裏に横たわっていた。しかし、毎日打ち込むタイムカードの刻印で積み重ねられている、単調きわまりない日々の連続にうんざりしつつも、それをどう打開すればいいのかも、まったく見出せないでいた。 

それが人生さ、などと思えるほど悟りきることもできず、かといってあいもかわらず居座り続けている漠然とした夢も捨てきれないでいる。大学卒業当時、探し求めていたあの「生きる意味」なども、とうとう色褪せた標語札のように、脳裏の片隅に埃をかぶって貼り付いたまま、何もかもが、これといった快感も感じないぶん、これといった不快感も感じなくなってしまっていた。

そしていつの頃からか僕は、自分の人生が歯の折れた歯車のように空まわりする、そんな虚しさを感じるようになった。また突然、繁忙をきわめる仕事のふとしたおりに、いいようのない不安に襲われることもあった。

確かに、このままこの生活を続けていけば、僕の将来はこの社会という繭の中で、大きな波風も立てずに平穏に過ぎていくだろうこともわかってはいた。しかし、もしこのまま30代をむかえ、こんな生活を続けていたら、40代をむかえる頃には、もう心は完全に潤いをなくし干上がってしまうように思えた。

もしかすると、人生を変えるチャンスはどこにでも転がっているのかもしれない。それをチャンスにできるのは、それをチャンスとして受け入れることのできる1パーセントの心の柔軟さと、自分自身を信じきることのできる99パーセントの勇気なのかもしれない。

しかし不幸にも、僕はそのどちらも持ち合わせていなかったのだ。