限界



アメリカのネイティブインディアンのホピ族の動詞には時制がなく、したがってホピ族には過去、現在、未来といった時間の捉え方がなかったと言われているが、過去は往々にして、もはや回収できない、送信してしまったメールのような心残りと後悔で溢れているものだ。

ちなみに「諦める」という言葉は、後ろ向きでネガティブな言葉だ。しかし今この世界は、目まぐるしい科学技術の発達によって、どんどん諦めなくていい世界へと移り変わろうとしている。

これは素晴らしいことだ。僕はテレビで、これまで治療できなかった難病の新たな治療方法が見つかったというニュースを目にするたびに、心から拍手喝采する。でも矛盾しているが、すべてがそうだとは限らない。

「諦める」という言葉は、確かに後ろ向きでネガティブな言葉だが、人生には時として諦めることも必要なんだと思う。諦めるということはまた、限界を知ることでもある。

教育の現場では子供たちに、諦めるな!諦めず成功を掴み取れ!と教えている。それは正しいことだ。でもこれは難しい問題だが、子供たちに、この世には「限界」というものがあることを教えるのも、同じくらい必要なんだと僕は思う。

科学技術の発達によってもたらされる、何もかもが思い通りになり、何もかもを諦めなくていい社会。僕はその社会がもたらす未来に、どこか恐ろしいものを感じている。

科学技術の発達を後押ししてきたもの、それは人間の欲望だ。これは疑いの余地のないことであって、すなわち多くの宗教が戒めてきた欲望の追求によって科学技術は目まぐるしく発達し、また科学技術の発達は我々人間の欲望をさらに増大させ、世界を作り変えてきた。

その結果として現れているもの、そのひとつが、今、地球規模で深刻化している環境問題だ。

21世紀を目前にした時、20世紀とはいったいどんな世紀だったのかといった議論が盛んに行われた。20世紀は、科学技術の発達によって、ついに我々人間が神になった世紀だ。そして神になり限界を見失った我々人間は、その欲望を今度は宇宙に向けている。我々人間は、地球でやってきたことを、今度は宇宙で繰り返そうとしているのだ。

科学技術はまず間違いなく、今後もどんどん発達していくだろう。ようするに、我々人間の道徳心や倫理観がどんどん低下していく中で、AIをはじめ、技術だけがどんどん発達していくのだ。それは恐ろしいことだ。

いつか我々人間には、この地球の生物である人間としての限界を正しく自覚する必要性に迫られる、そういう時が必ずやってくると僕は思う。

参考までに、「世界」と「宇宙」という言葉は、同じ言葉らしい。ともに「世」と「宇」が空間を表し、「界」と「宙」が時間を表している。しかしただひとつ違っているのは、「世界」が人間の存在を前提としているのに対して、「宇宙」は人間の存在を前提にしていないということだ。