威厳


かつて「シャム」と呼ばれたタイは、ある高名なるネコの原産地である。そう、そのネコとは、もちろんシャムネコのことだ。

今はどうかは知らないが、少なくとも30年ほど前までは、「シャム」という言葉を聞いてまず思い浮かぶものはといえば、やはり何といっても「シャムネコ」だった。

実際シャムネコはその昔、シャムの宮殿や僧院の中で、門外不出の秘宝として大切に飼われていた由緒正しきネコだったのである。
またこのネコは、飼い主に吉兆をもたらすと信じられていて、アユタヤ時代の稿本『サマット・コーイ』には、シャムネコの17種の容姿がそれぞれどのような吉兆をもたらすか、絵入りで詳細に記されている。

そんなシャムネコの存在が、ヨーロッパに知られるようになったのは、ここシャムを訪れたイギリスの外交官が帰国の途につく際、シャム王室から一匹のネコを贈られたことが発端らしい。
そして1871年、ロンドンのクリスタルパレスで行なわれたワールド・キャット・ショーで、このネコが初めて世界に紹介されると、シャムネコの一大ブームが到来するのだ。1884年にはイギリスでシャムネコのクラブが組織され、アンナ・パブロワやジャン・コクトーも、この気品に満ちたネコの愛好家だったことはよく知られている。

しかし日本を見る限り、そのブームはもうすっかりと消え失せ、流行遅れになってしまったシャムネコは、今では世間からもうその名前すら忘れ去られてしまった感がある。
こんなことを言うと、愛猫家の激憤をかうことになるだろうが、こういった愛玩動物も所詮、人間の気紛れな欲望を満たすための所有物の一つであることには違いないのだ。

もちろん残念ながら、タイの路地裏や屋根の上をうろついているネコは、そんな由緒正しきネコではないが、あの濡れたボロ雑巾のようなイヌどもとは似ても似つかぬ、みんな実に精悍な容姿をしている。
やはり、この国に「シャムネコ」という名前があって「シャムイヌ」という名前がないように、イヌどもに比べ、ネコたちはみなとても気高く、威厳に満ちているのだ。

そして、タイで一番、威厳に満ちた生き物といえば、何といってもヤモリである。ヤモリの威厳は、決して水牛にも引けをとらない。