火花


ホテルの前の路地を出て、また別の同じような薄汚い路地を適当に通り抜けると、少し大きな道に突き当たった。そこで思い出したように地図を開いて確認してみると、どうやらチャルンクルン通りのようだった。地図によるとこの通りは、チャイナタウンの中を王宮へ向かってほぼ一直線に走っている。

ここがチャイナタウン、いわゆる華僑街になったのは、チャオプラヤの対岸にあったトンブリー王朝が一代15年の短い治世で滅び、ラタナコーシン王朝が河を隔てた現在の地に遷都した時である。かつての華僑街は現在の王宮のあたりにあったのだが、そこにあった華僑の富豪の邸宅が新王宮の用地とされたことによって、華僑街は強制的にここへ移転させられてしまったのである。

あたかも火花のように世界中へ飛び散り、それぞれの土地に独自の文化を貪欲に根付かせている華僑だが、特にタイはその華僑の混血と同化が最も進んでいる国だと言われている。そもそもタイ族は、中国の揚子江あたりから南下してきた民族で、血統的にも当然、古い時代から漢民族との血の交わりも繰り返されただろうと考えられており、事実、前トンブリー王朝のターク・シン王の父も、中国潮州出身の華僑だったのである。

一般的に、ルーズで、楽観的で、金銭に対する執着が薄く、向上心がなく保守的だと言われているタイ人とは対照的に、中国人は勤勉で、忍耐強く、金銭に対する執着が強く、革新的で独立心に富んでいると言われており、タイでは、こういった対照的な気質が、一つの社会の中で相互に補完し合う、理想的な職業の分化を生み出したのだと考えられている。かくして、華僑はこの南海の地で、その生まれ持った気質を活かし、商業や金融業、運輸業などの各分野で、着実に己れの居場所を築いていったのである。

連なる建物の外壁には、「旅社」や「公司」といった漢字がタイ文字と競い合うように路地の上空へと迫り出し、その隙間に、永く風雨に曝され塗装の剥げ落ちた鎧戸や鉄格子に堅く閉ざされた妙に秘密めいた小窓がのぞいている。通りには、無秩序にありとあらゆる店の間口が開き、薄暗い店の奥の壁には、金の覆輪に彩られた丹い護符の紙片と、支那風の艶やかな祭壇がきらめいてた。

そんな、血の中に豊かな商魂の流れる人々が行き交う雑踏の中を、僕は立ち止まるきっかけが見つからないまま、延々と歩き続けた。あいかわらず額に流れる汗をハンカチで拭きながら。照りつける炎昼の太陽が車道を灼き、車がその中を爆音を轟かせながら疾走する、喧騒と熱気の入り交じった長い長い午後だった。