遭遇


僕が初めてタイ料理というものを食べた、あの時のことは今でもよく憶えている。あれは大学の卒業式を終えて飛び出した、あのバンコクの旅でのことだ。

記念すべき、バンコクでの初めての夜を過ごしたのは、チャイナタウンの外れに見つけた、崩れかけたアリの巣のような安ホテルだった。そのホテルの脇に出ていた、薄汚れた路地と同じくらい薄汚れた小さな屋台の椅子にひとり腰掛け、煮込まれた得体の知れないものを、痩せこけた米の上にかけ、しこたま汗をかきながら一気に腹にかき込んだのだ。これが、僕が生まれて初めて口にしたタイ料理だった。

「喉を焼き切るほど辛く、ランの花のように甘い」

それはまさに、異文化との初遭遇にしてふさわしい、実に劇的な味だった。その味は、同じく初めて体感した、あのバンコクの身にまとわりつくような不快な熱気とともに、僕にとって永遠に忘れられない1つの、体の記憶となったのだ。

僕は今でも自分にとって、初めてタイ料理を食べたのが日本ではなく、タイだったことがとても幸運だったと思っている。今日本では、世界中の料理が簡単に食べられ、テレビをつけると毎週必ずといっていいほど、世界各地の料理を紹介する番組が流れている。
それは確かに、日本に居ながらにして、世界の幅広い知識を吸収できる、素晴らしい時代に生きているということには違いない。だがその反面、旅における驚きや、発見の感動は半減していると言えるだろう。
グローバリズムを根底から否定するつもりはないが、僕は、情報の乏しい、実に不便ないい時代に旅をしていたと、今でも心からそう思っている。