タイと、ビルマ、ラオス、カンボジア、ヴェトナムの5ヵ国を合わせた、東南アジアの大陸部を指す「インドシナ」という名称は、「インド」と「シナ」、すなわち中国との合成語で、この呼称は日本語だけに限ったことではなく、英語でも「インドチャイナ」、タイ語でも「インドチン」と呼んでいる。
その名の示す通り、ここはインドと中国という二つの巨大文明の狭間に位置し、古来、両文明の絶大な影響をこうむり続けてきた地なのだ。
そもそもタイの人々、広い意味でのタイ族は、実は中国の揚子江あたりにいた民族で、それが時代の変遷とともに次第に南下してゆき、とうとうここに安住の地を得たのである。
そして、こういったルーツ的な関わりもあってか、古くからこの地には中国本土から多くの華僑が流れ込み、特にタイという国は世界的に見ても、その華僑の混血と同化が最も進んでいる国だと言われているのだ。
このような、古くからの中国のとの関わりは当然、言語の上でも大きな影響を受けたと考えられていて、実際にタイ語の語彙を見渡してみても、中国を起源とする借用語、いわゆる外来語がおびただしく含まれている。そしてそれらはもはや、特に外来語として意識されることなく、人々の日常生活の中に埋没しているのだ。
たとえば、「二」「三」「四」「五」「六」「七」「八」「九」「十」といった数詞や、「父」「母」「友」「米」「鶏」「牛」「馬」「薬」「火」といった名詞、「広い」「狭い」「強い」「温かい」「鹹い」「酸っぱい」といった形容詞、「開く」「助ける」「答える」「触れる」「送る」「了る」といった動詞と、いちいち書き出していると切りがない。
これに対して、インドを起源とする借用語は、ちょうど日本語の中での漢語のような役割をもって存在しており、主に文化や思想、科学といった語彙に多く含まれている。なんとこのインド起源の借用語は、タイ語の全語彙の3分の1を占めているらしい。
これらのインド起源の語彙は、やはり宗教とともにもたらされたものである。ヴェトナムを除くインドシナの国々では、古くからバラモン教やヒンドゥー教、仏教といったインド原産の宗教を国家規模で受容しており、国家の威厳はまたその宗教によって保たれていたのだ。
そういった信仰の歴史的な流れの中で、サンスクリット語やパーリー語などの豊かな語彙が、この国の人々の精神文化の中に浸染していったのである。
だが、このインド起源の語彙は、なにも古めかしく、抹香臭い語彙というわけではなく、おもしろいことに、このインド起源の語彙を使って、今日でも盛んに新しい語彙が造られているのだ。
「テレビ」「電話」「自動車」「工業」「科学」「銀行」「経済」「開発」「大統領」「民主主義」「原爆」といったように、これもいちいち書き出していると切りがないが、まさにインド起源の語彙なくして、タイ語で現代社会を表現することは不可能なのである。
ちなみに、タイ語の挨拶「サワッディー」も、「平安」を意味するサンスクリット語なのだ。