乳海


ある時のことである。仙人がインドラ神に花環を捧げた。すると突然インドラ神の乗り物である神象アイラーバタがその長い鼻で花環を大地に叩きつけ、花環は無惨にも打ち砕かれてしまう。実はその花環は豊穣の女神シュリーの棲みかだったのである。豊穣の女神を失ったこの世は、みるみる内に混沌とし荒廃していった。

それを目にした神々は、この世を再生させるべく、ヴィシュヌ神の元へ相談に向かったのだった。

するとヴィシュヌ神は神々に、豊穣の女神を生き還らせるため、悪魔たちと力を合わせて乳海を撹拌し、不死の妙薬アムリタを得よと命じた。
そこで神々は、まず宇宙の中心に聳えるメール山を引き抜き乳海の中に立て、それに大蛇ナーガを3巻きさせる。そして悪魔たちに協力を求め、ナーガの頭を悪魔たちが、尾を神々が持ち、いっせいに引き合いゴウゴウと乳海を撹拌し始めた。

またヴィシュヌ神も自らメール山の山頂に姿を現し撹拌に合わせて号令をかけ始め、ナーガの吐き出す火は悪魔たちを活気づけ、吐き出す息は尾のあたりで雨雲となり、雨は神々を活気づけた。
しかしメール山が回転すると、その摩擦によってとてつもない熱が生じ、乳海の底に穴が開きそうになり、乳海に棲んでいる生き物たちも、その煮えたぎる熱でもがき苦しみだした。

それを目にしたヴィシュヌ神は、ただちに大亀クールマに化身し乳海の底に潜り、メール山を甲羅の上にのせ軸受けとなる。
こうして、やがて乳海が撹拌されると、中から突如、天女アプサラスがキラキラと天空に躍り出て、ついに不死の妙薬アムリタが抽出された。

ところがである。なんと抽出されたアムリタを、悪魔たちに奪われてしまうのである。そこでヴィシュヌ神は、今度は美しい女に化身して悪魔たちを誘惑し、悪魔たちが女に夢中になっている間に、神々は無事アムリタを取り戻したのだった。かくして豊穣の女神シューリーは生き還り、この世は再生したのである。

これは、ヒンドゥー教の再生神話『乳海撹拌』の下りである。アンコール・ワット第1回廊東面の壁に、この神話が49mにわたり彫り込まれている。
僕が初めてカンボジアを訪れた、まだ密林の奥で銃声が響いていたあの頃、この古来あまりにも有名な浮き彫りは、悲惨な状態に晒されていた。かつてユネスコによって修復作業が行われていたのだが、回廊の屋根を取り外した所でカンボジアの内戦が勃発し、以後そのまま放置されていたらしい。

その永すぎた残酷な歳月は、この壁に刻まれた神々の記憶に、深い傷をおわせていた。壁の石材は緩み、摩滅と損壊に打ち崩れ、そして、滴り落ちる熱帯の雨水を追って繁殖する猛烈なカビによって黒く変色し、浮き彫り全体がまるで流れ出した涙のような染みで覆われていた。

しかし、もしかすると自然とは、そういうものなのかもしれない。形あるものはすべて滅びるというのは、古代インドから脈々と伝わる理である。
万物は、すべて生成と消滅のサイクルの中にあり、生成するがゆえに消滅があり、消滅するがゆえに生成があり、ゆえに万物は存在しているのだ。アンコール・ワットもまた、自然の流転に呑み込まれ、静かに地へ還ろうとしていたのかもしれない。

『乳海撹拌』では、神々はこの撹拌を1000年続け、アムリタを得たと書かれている。アンコール・ワットが建立されて、すでに850年が過ぎ去った。
150年後、アンコール・ワットは、いったいどうなっているだろうか。ついに不死の妙薬を得、新しい再生の時代を迎えているのだろうか。それとも、不死の妙薬も所詮はかない夢に終わり、熱帯のみどりの生気に呑み込まれているだろうか。

刻々と迫り来る荒廃の音を振り切るかのように、片時も休む事なく乳海を撹拌し続ける神々の姿が浅い午後の斜光の陰に涼しく、僕はそんなことを考えながら、ひとり奥の回廊へと進んだ。